母のタイムスリップ日記
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| 2006年03月07日(火) |
彩星の会 干場さんを迎えて… |
午前中 登録している事業所の会員交流会。 制度が変わって本格的に活動が始まるのでその説明もある。 3ブロックに分かれて開かれるが 自分の地域での交流会の日は用が有って参加できないので 今日違うブロックの交流会に出かけた。
参加者6名。 今日 活動日に当たっている人も居るだろうし 所用の人も居るだろうし…。私だって いつも参加できている訳ではない。 あまりに 参加していないので「こりゃいかん」と反省しての事だ。
会員が増えてきているという報告があった。 形態を変えているので 離脱組みが多い。勿論 年齢や病で仕方なく離脱と言う方もいる。
新しい方の中には 男性も見えた。 男性は 退職されて次のステージでの参加である。 介護の学校に入学されると言う若い方も会員登録なさって活動を始められた言われていた。
以前は 利用者さんと連れ立って旅行と言う企画もあったのだが 今は経費削減でなくなってしまった。 だから 地元で楽しめる事を…という事になり 「めかご作り」「蕎麦打ち」「芋煮」等の案が出た。 みんなで楽しめるもの…をもう少し探して実行に移して行きたいと言われていた。
今日は 家族会の日で若年性認知症の家族会「彩星の会」の干場さんを招いているので 交流会は中座して家族会を開く場所に移動。 資料は 一枚だけ準備しているが 集う人の分を印刷しなければならない。 それに わざわざおいでくださるのに心ばかりのお礼も…と思い 地元の美味しい物を…と心当りの店に直行した。 「がが〜〜ん」定休日。それでは と次の店に走ると こちらも定休日。 お休みは明日の筈だが なんと連休。。。 もう きっぱり諦めて会場に向かった。
干場さん 早めにおいでくださった。 「いや 実は妻が また発熱して…昨夕 緊急入院しました。今朝 病院に寄って来たので 事務所に寄れなくて会報を持ってこられませんでした」と。「「こちらで勝手に資料準備しましたから これを配布させて頂いて宜しいでしょうか?」とお聞きして了解を得た。 「次の実行委員会で会報お渡しします」と言って下さった。 先月の家族会で 先に頂いた パンフレットや会報はお渡ししてあるけれど…。
何故 干場さんをお呼びしたかと言うと会員の中に若年性の家族が増えたからなのである。 「認知症」というくくりで共通する介護の場面もあるけれど お若い分だけ家族の悩みも深いところで違っていたりもする。 例えば お子様がまだ在学中だったり 仕事の事や 経済的な事 また 介護保険を利用できる年齢の事だったりと様々である。 また 薬の服用もいろいろある。 干場さん曰く「若年をフォローできる医師はそう多くない」と言う。 診察は以前に比べて確実になってきているが 家族や本人をフォローしきれて居ないことが多いのだそうだ。 家族会でも 薬の服用は 医師と家族で今までも随分話題になった。 医師によっては 適切な薬の量を判断で来ていないという事もあった。
うちの会の会員が 薬の事も質問していた。 症状を伝えると「薬が多いと思う」と言われ医師に症状を伝え相談しなおした方が良いとアドバイスなされていた。 家族側が医師と話す時 殆どの場合 医師の指示を信じてしまう。 勿論 相手が 医師なのだから 当たり前の事だけれど…。 でも家族がいろんな情報を手にしていると「この場合はどうですか?」「こういう方法もあると聞きましたが…」と医師と言葉のキャッチボールが出来る。薬はいつも同じではなく 症状によって変えたほうが良い場合があるという事だった。 これは 干場さんが精神科医共に 奥様や多くの方を見て来られた経験からの意見だった。
また 働き盛りの就労も話題になった。 これは 介護者ネットワークでも知り合いのケアマネさんとも幾度か話したことがある。 仕事をしていた人が認知症になった時 努めていた職場で働ければベストだが そういう所は極めて稀。という事は 本人のダメージにもなるし 収入がなくなったら生活できなくなってしまうのだ。 これは 奥様の介護をなさっていても同様だ。
今 彩星の会では 就労の場所を模索中だと言う。 職場がなくなっても 通える場所を作るという事だ。 本人が20パーセント仕事して 後の80パーセントはボランティアが支えるという仕組みである。 そういう場所があると認知症の進行を少し先延ばしできそうと言われた。 例として上げらた。 恵まれた職場似通い詰め いよいよ仕事を離れ去ろう得なくなった時ガクッと進行したそうだ。 そういった例が いくつか有ると言われていた。
ある方が 若年の中度と診断されて その時も中度とは思えない様子に驚いたそうだ。が数年後お会いした時も変わらない状態だったという事だ。 詰まり 本人が認知症と感じる隙間がないほどぴったり寄り沿われてお過ごしだったという。
こういった例は 高齢者の場合も当てはまる。 「いかに上手に付き合うか…」これが鍵である。 しかし 介護者の負担も大きくなってしまう事が難点だ。 前の例の方場合「託してからも介護できる体力維持が大切」と伝えて極力介護を離れて自分の時間を作れるようにご家族も含めてフォローなさったという事だった。
認知症の介護と言うものは 一律でない。 同じ病名がついても症状は様々。 介護に当たる方の 介護受容度(これは資質だけでなく環境も含む)によっても異なってくるように感じる。
いろんな場面に介護者も介護される側も揺れ続け 道を探っていく。 母の介護も揺れ続ける。 これからも いろんな局面がありその都度 対処に迷うだろう。
干場さんも話されていたが 迷った時は「自分が認知症だったら これはどうだろう?」と思い返してみる事も必要と言われていた。 全く同感である。好きで病になった訳ではないし 意思をなくしているわけではないのだから…。
今日も病院帰りの家族が心待ちにして立ち寄ってくださり「ここに来てよかった」と言われた。 離れて住まうお母様を思って初参加の方が 家族と共に参加なさった認知症の方と出会い かなり緊張されていた。隣にいらしたのでその緊張ふりが伝わってきた。かなり刺激なったようだ。 あまりに固い表情なので 帰路 声をかけて母のグループホームにお連れした。母の表情をみて安心なされ 入所者の方ともお話しなされ 少し心が緩まれたように感じた。
母との面会は極短い物だったけれど「明日 髪結いさんに行こうね」というと「判った」と言っていた。 母の気になる言葉もあるので ゆっくりとした時間を過ごそうと思っている。
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