母のタイムスリップ日記
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| 2006年02月26日(日) |
残されているものは? |
母の出来なくなった事を数えたら限りがない。 Tさんが 食事時の風景を日記に書かれていた。 「意味もなくコップを移動、時にはいきなり倒される」と。 母もそういう動作は しょっちゅうだ。 こちらから見ると遊んでいるかのような感じだ。 この動作は 母に限った事ではなくて 入所者にも見られる。 ご飯にお茶をかけるくらいなら「お茶漬け」と思えるが とんかつの上に味噌汁という事もある。 何故 こういう現象が出るのだろうと不思議に思う。
「食べ方は自由に…」とは思うけれど とんかつに味噌汁をかけたら 美味しくないだろうと思うので さり気無く汁物を遠ざけたりもする。 水分が必要かなと思う時 汁物を前に持って行き おかずを少し下げる。
でも 時々思う。 母は 言葉を発する事は出来ないが 聞き取りは出来ている事がある。 だから「おかしいよ」と言ってあげたいと思う。 でも 施設の場合 比較的軽度の方の耳に入ると食事のたびにその事を注意されてしまい 母にはストレスになりそうで…言えない。 二人きりの時には そうっと伝える時もある。 これで 治る時もあるから不思議。 いや 治ると言うよりも その事を意識すると感じる。
先日の歯科通院の時 洗面所で手を洗っていたら鏡を見て 頭髪を手で撫でていた。櫛は目の前に有るのだがそれは使えない。 だから 手櫛なのだろう。 髪の毛が伸び始めている事もあり それが気になっている様子だ。 でも よくよく考えると その少し前に入所者の一人の方が 私に向かって「あんた その頭で出かけるって言うの!」と激しく言って来た。 「ぁ そうだね。風でぐちゃぐちゃになってしまったわ。直してから行くわ。有難う」とそんな会話を交わしたのだった。 そういった話を傍で聞いていて 記憶されていたのかなと思う。
具体的な会話は思い出さないのだろうけれど…関連した事を思い出すような…そんな気がしてならない。 そういう側面があると信じて 母に話しかけることも多い。
母は 入所者の人の服の乱れを「おかしい」とは言わない。 でも 気が付いた時その人のそばでそうっと直してあげたりする。 これには 母自身のルールが有るようで「怖くない人」が原則のようだ。 喜んでくれる人を察知しているような気がする。 言葉がなくとも 以心伝心 伝わる人には伝わる。 たとえ認知症同士であっても…。
母のトイレのサインに気が付いたら 他の入所者にもサインがあることに気が付いた。職員の配置が薄い時はそうっとトイレに誘導する事もある。 でも トイレで私からの介助を受けるのは やはり恥ずかしいと言う思いがあるように感じた。その時には 無理に介助せず 職員を呼んであげる事にしている。 自分で排泄を訴えられる人は良いのだが そうでない人の場合 そうして差し上げても良いだろうと思っている。 トイレの介助は嫌でも 食事の介助は嫌がらなくなった。 食事時には よくご一緒しているからだろうと思う。
残っている能力は僅かになっても 心は失っていない。 介護に関る保健士さんや介護士さんに伺っても皆さん異口同音にそう言われる。私も母を通してその事を学べた。
能力維持のためリハビリはとても大切。 でも維持するために運動に取り組むより 普段の動きをしているうちにリハビリになるように…と思っている。 歩く事も 食べる事も 排泄も…。
何だか同じような事を 毎日記しているような気がする。いいのかな?
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