母のタイムスリップ日記
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2006年02月06日(月) 電話。。。


利用者さん訪問。
インターホン越しの声が低い。
あれれ 何が起きたかな?と玄関に入った。
土曜日に失敗なさったらしい。
新しいヘルパーさんが今週の木曜だけは 都合が付かなくて土曜に変更になったのだが それを先週の土曜と勘違いをなさり 待てど暮らせど見えないので支援センターにお電話をしたらしい。
勘違いとわかった様子だが…失敗が少し気になっている御様子だった。
「勘違いは 私もやってしまいますよ。あまり気になさらないで…」と伝えた。

週末 ご家族が見えた御様子。
今 奥様が遠距離介護で帰省なさっているご家族が見えた時 利用者さんが煮物やらを勧めると「美味しい」と持ち帰られたそうで 今朝も「美味しかった」と言ってくださったそうで「やっぱり 幾つになっても親だわ♪呆けてなんていられないです。お役目未だ残っていましたわ」と言われた。
確かに時間的な過ちは起きるけれど 思い返して上げる事はお出来になる。
役目を背負えば 張りも生まれてくる。

母が在宅の頃 私も随分困ったふりをして母に手伝ってもらった事がある。
完璧に出来る事は少ないのだが…「助かったわ 有難う」で母の笑顔を貰った事が幾度もあった。
「張り」って気力の元なんだなとつくずく感じた物である。
しかし 本気で頼み込んでしまうと思わぬ事で腹立たしくなる事もあり そこは程ほどで双方が心地良いと感じる程度という事なんだけれど…。

ご家族も奥様が不在で不自由さもピークなのかもしれない。
奥様も向こうで大変な日々を過ごされておいでだろう。
それでも利用者さんを見ていらして学ばれた筈で きっと役に立っているのではないかと思う。
現に「お袋 歩けなくなったら ベットから動く事も出来ないんだぞ。気をつけながら リハビリしてくれよ」と言われるそうだ。

私も父の介護母の介護で 子連れで我が家を長期に渡り 幾度も留守した。夫には ほんとに寂しい思いをさせたし 不自由な思いをさせた。
介護真っ只中の時には「遊んでいる訳じゃないし…」と言う思いのほうが強かったが 今振り返ってみると「悪かったなぁ〜」と素直に思う。
夫も夫の兄弟も「大事にしてやれ」と言ってくれたのがほんとにあり難かった。そういって貰える人って そう多くない事を知るに付け 感謝の念を強くする。

今日もお買い物同行し お料理。
以前から「わかさぎのマリネ」を希望されていたし 再度煮物もリクエスト。おそらくご家族に食べさせたいと言う思いもあると思う。
利用者さんが召し上がる範囲の中でちょっとだけ多めに作った。

活動を終えて 今日は会議。
地域の認知症ケアのネットワーク作りである。
警察や消防署 民生委員さん 在支 医師 保健士 後見人のアドバイザーと地域の人と関る人たちとのネットワークを考える会議。
今日は 交流と顔合わせを兼ねている感じ。

会が始まる直前に 携帯が鳴った。
母の事だった。昨日 あれから歩けなくなり 今朝も車椅子を使用しているという事だった。足も腫れており湿布をしているという事だった。
「後で寄ります」と電話を切った。
「会に出ている場合か…」と自分が情けない気分になった。

民生委員さんから家族会の事を聞かれた。
どうやら気になる方がおいでのようだ。
「誰でも気軽に参加して良いのですよ」雰囲気や会の趣旨を伝えた。
警察には 若年認知症の方を理解して戴ける様に御願いした。
諸事情で名前や写真を公開できない場合もあるのでよろしく御願いいたしますとも。
「若年性認知症」という言葉始めて伺いましたと言われた。
席も離れていたので詳しく説明できなかったが どうも若年=青少年と思われた節があって…。役所の人気が付いてくれたかな?
後でパンフレットでも持参した方が良いのかな?

事例に沿って 関った人のお話をして行く。
本人の事は勿論 ご家族のフォローも含めてである。
個人名は挙げられていないので 他の人にはわからない。
ただ どういった手順で関っていくかという事が 良く判る手法だったと思う。

隣り合わせに精神科医と座った。席次は決まっていたので。
そこで ちと母の事を相談。
「排泄の失敗等 本人もかなり意識があり泣いたりするが…やはり判ってるのでしょうかしら?」と。
医師は 認知症の進行で寝たきりになった方に関った時期もあり そこから感じるのは やはりそういった感情や感覚は末期になっても残っているといるという事が多いという事だ。
他にもいろいろ伺い 今後の母の介護のヒントを頂く。
チョクチョク顔を合わせていても 自分の事の相談はなかなか出来ない。
話の途中で会が始まり中途半端の終わったら 会終了後残ってくださりきちんと教えて下さった。感謝である。

会が済んで 保健所の保健婦さんと話す。
若年性の人とご家族を救うための手段である。
いろいろと情報を交換して 少しずつ具体化出来そうな気配だ。
それも自分の住んでいる町だけでなく近隣の地域との連携で…。
家族会の存在も見えてきた。
今まで見えなくなっていたけれど どうやら隣の町にもあるという事が判ったそうだ。そちらも何とか繋いで行ければいいなと思う。
更に 先日の家族会を作りたいという方に朗報が入った。

お話を終えて 急いで母の所に向かう。
夕食間近になっていたが「行きます」と伝えてあるので…。
母は不安そうにテーブルに向かって座っていた。
目が合うと「待っていたのよ」と言う。
そうか 来るのを待っていたんだ。母は 其の訳を説明できるほどではないのだが…。

様子を見ながら母を立たせてみた。
両手を引いて居室まで歩いた。
足は痛そうだ。でももっと気になるのは排泄だ。
母の表情から濡れている事を直感でき 更に出そうだというサインと感じた。

やはり正解だった。
排泄は壁だなぁ〜。
それから暫く母は泣いていた。

「水が飲みたい」と言うので水道水をコップに汲んで飲んでもらう。
コクリコクリと飲んで噎せる事はなかった。

程なく夕食。
一度テーブルに着いたが 皆揃っていたら母がカタカタと震えだした。
チラッと視線をやる先には…。気のせいだろうか?
母は話せないので どうにも困ってしまう。
また迷惑をかけたのだろうか?
認知症になっても 笑顔を見せる相手と言うのが決まっているみたい…と感じたりもしてしまう。

あ そうでした。
母の足の腫れ。。
湿布してあり肝心の場所を見る事は出来ませんでした。
でも 触れてみると右足の左側の甲の辺りが痛む様子だった。
それがどうしてなのかは判断できない。
骨折かなぁ〜。
一応 湿布薬の上からサポーターで固定してみたら痛みが和らいだ様子で暫く様子見…。
通院してもまた母の感情が昂ぶる事も予想できるし…薬で痛みを抑える事位なのかなと思うと 通院も迷う。
またカルシュームが溜まったかな?
でもかなり歩いた日から数日は痛みはなかったしなぁ〜。

認知症の重症期ともなると ほんとに悩みます。
どうする事が母のためになるのかな?

血圧も少し上がり始めているし…2月は要注意の月だしなぁ〜。
あ〜今週 予定がびっしり…どうしよう。。。


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