母のタイムスリップ日記
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2006年01月14日(土) 変化しています…母も私も。

 
 この日記は 母がグループホームに入居してから始めた。
しかし 介護はその10年近く前から始まっている。
若し 10年前に介護日記を書いていたら 不安と不満満載の日記になっていただろう。今でも 不安や不満が消えている訳ではないのだが…。

母の行動や言動 家族の関わり 兄弟たちの関わりと自分の混乱や疲労…ほんとに混迷していた。
頭で「病気」と判っていて 自分なりに懸命に取り組み その時は 精一杯やっていたのだと思う。

今 認知症の介護が始まって大変な思いをなさっている方を知る時 必ず自分のそういう時代の事が甦ってくる。
「そう同じ事考えたよ 同じ事思ったよ」と頷く事が多い。
でも その人と自分の間には時間のギャップがある。
自分の記憶の中で 一番大変だった時期の嫌な事 苦い経験は 少しずつ消され始めているように感じるこのごろである。
だから 気持ちは判っても今は 同じ立場でないかも知れないと思ったりもする。

ただ 感情を激しての介護のブレは多少(多少じゃなかったかな?)あっても落ち着いたら母側の思いに立ってみるように努めてきたつもりである。

今では「待ってね」という言葉すら理解できているのか即座には掴めないが初期の頃は 待ったなしの直球勝負が日に幾度も繰り広げられていた。
「判る事と判らない事」の線引きが とても曖昧で心理状態によってコロコロ変わっていたのに それをこちらが把握できなかった。
他の方は判らないが 私にとって初期の頃の対応が一番 イライラが多かったと思う。

認知症中期後半ごろから あまり自分を主張しなくなった母なのだが 最近自分の感情をストレートに出すようになった。
特に「痛い」とか母の思いを否定するような場面では特にだ。
これには 時折「ちょっと 我慢ね」と話しかけているのだが…。
この言葉も だんだん通用しなくなってきている。

母が言葉を失い始めた頃から「何でも我儘言って!」と思うようになっている。
そう思いながらも お正月の在宅生活で階段を上らないで動かなくなったりお風呂から上がろうともしない行為に出会うとオロオロとしてしまい「どうして判らないの!」と言う思いが沸々としてくる。
でも 在宅する時間が短いので そんなに重荷ではない。

こちら側の変化に以前なら気が付いてくれた母も 今は 比較する記憶がゼロに近くなっている
でも大きな枠の中で「御世話になっている」と言う思いは強くなっているとも感じる。

昨日も ずっと寝かされた儘で ようやく椅子に座った時 職員がお茶を運んできてくれた。
私が「有難うございます」と言うと 母は涙声で職員に「有難うございます」とじっと見入ってお礼を言っていた。
職員は「涙でお礼を言われるなんて…」ととても恐縮していた。薄っすらと涙も浮かんでいた。
不満を言われるよりも この言葉の方が訴える強さが有るとその時感じ入った。
母の言葉はストレートだ。おそらく寝かされていて ようやく起き上がれてとても嬉しかったし そこに自分のためにお茶を運んできてくれた事が特別なものに感じたのだろうと思う。

そういう場面が私には幾度もあった。
其の度に 自分の思いを見透かされているような感じがして 辛くなった時期もある。
母から学ばされてきたのは そういった言葉ではない姿である。
これは 母に対してでなく 人のお付き合いの中でも必要な事で…。

これが 母の性格と思われる方も居られるかも知れないが そうではない。
父はそうであっても 母はどちらかと理屈ぽい人間だったから…。
そして 認知症初期には もう「私の思う通りに何故出来ないの!」と怒りまくる事も度々だったのだ。

認知症にも いろんな変化がある。
いろんな機能を低下させながらも こちらが思う以上に学んでいる事も多いのではないかとさえ感じる。


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