母のタイムスリップ日記
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2006年01月01日(日) 母語録


 新しい年のスタート。
昨夜から 今日一日の母の言葉を紹介。

「ぼろ屋と言っていたけれど 良い部屋じゃない」
「そう お母さんは52歳頃に亡くなった」
「もう 来ないよ」
「ありがとう」
「この事は 誰にも言わないでね」

最初の言葉は きっと前回のお泊りに連れてくる時に「ぼろ屋だけれど泊まりに来てくれる?」と聞いた事を覚えていての事だろうと思う。

ふたつめの言葉は「今年は90歳だね。お母さんの倍近くまで 生きているんだよね。お母さん52歳で亡くなったんだよね」と言う質問に答えてくれた。

夕食後 投薬している時 錠剤をのんでくれなくて 口から幾度もペッと出した後に言った。
この時 薬を飲むのが嫌で言っているのかと思ったが…。
「ここの家が嫌で来たくないのだったら それもいいよ。でも みんな ○チャンの事大好きだからね。風邪を引いていてうつすと悪いから ご飯の時しか居ない人もいるけれど…みんな大好きなんだから…。嫌じゃなかったらいつでも来てね」と聞いたら…。
目にいっぱい涙を溜めて…「有難う」と。

最後の言葉は 終身時2階に上がる時 最後の2段で足がカクッとなって大泣きをした。
寝室に入った時もずっと泣き続けていたが…泣きながら そういったのだ。

母の発した言葉は 少ない。
母が何かを話したい様子で 幾度か話し始めるのだが…「おかちゃん あの…」まで来ると 後が続かなくて黙って下を向いてしまってばかりだった。

トイレに誘導しても怒り加減だったりもした。
手を払われた事もあったし 昼食時 夫を睨み続けた。
昨日は娘を睨み続けた。
私を睨む時もある。
それでも これは個人的な恨み言ではなく 病の為せる事と理解している。
寂しくないとは言えないけれど これらを含めて病だと哀しさ 寂しさの為せる事だとちょっぴり可哀想になってしまう。

お雑煮もおせちも介助が必要だった。
口に運べば 食べられるのだ。
それなのに…夕食に出た「蟹」は1人でちゃんと食べていたぞ。。。
それにはホトホト感心してしまった。

母宛の年賀状も届いている。
母が読んで「アッ」と言っていた。
どうやら 理解できている。
繰り返し繰り返し読んでいた。

今年の母の年賀状は こちらで全て書いた。
母の写真も添付。
母の写真を添付するようになったら 下さる方も写真の賀状になってきた。
父の親友のご夫婦は ダイヤモンド婚…と。
前回のお泊りの時 母に名前を書いてもらったら 同じひらがなをずっと並べて書くだけだったので 今年は諦めた。
ゆっくりと時間をかければ きっと書けるかな?いやあくまでこちらの希望的観測。書けるといいなぁ〜。



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