母のタイムスリップ日記
DiaryINDEXpastwill


2005年11月10日(木) オフ日


 今朝 ゆっくり出勤の夫がテレビを見ていた。ふと見ると 若年性痴呆の家族会の「彩星の会」の干場さんが話していらした。 テレ朝の番組だった。
そういえば ゆっくりと静かにテレ朝の取材が入っていると言っていた事を思い出した。

もうひとりの方は 何処の人か途中からなので判らなかったが…。

干場さんが「はなさん 昔の写真が役に立つ時があるから 大事にした方がいいよ」と言ってくれたり「始めの頃 良かれと思って闇雲に介護した時期があってね。録音しているから そのうちテープ持ってくる…」と言われていた。

今日 テレビで 奥様との会話の録音が流されていた。
やり取りを聞きながら 私も同じような事を母に言った場面を思い浮かべた。

初期の頃は やはり どうしてもそういう言葉を発してしまう。
私自身の大きな反省である。

でも 毎日の生活しているとついついである。
介護は放任も良くないけれどしっかり向かいすぎも良くないと最近富に耳にする。 特に臨床心理に取り組んで居られる先生から…。
介護を受ける側 する側の双方の姿から感じられているメッセージと受け止めている。

「出来なくなってごめん」「世話掛けてごめん」そういう気持ちが 母に いっぱい溜まってしまうのである。

「良いんだよ いっぱい御世話になったのだからお返しなんだ」と言うと「あなたは 私を傷つけないように 言ってくれるのだね」と母は幾度か言った。

こういう場面は 私自身 ある程度言葉の跳ね返りがあると気がついて自重し始めた頃の事だ。
それ以前は「言ったでしょ。何故出来ないの。さっき説明したばかりでしょ」と幾度となく投げかけたし 言わないまでもそういう目付きもしていた。母はそのつどプレッシャーとなっていた筈だ。
だからこそ「帰ります」と荷物を纏めたりがあった筈だ。

あの頃 漠然と自分が追い込んでしまっていると感じていたけれど…。
追い込まれると優しい気持ちがすっ飛んでしまうのだ。
プリプリと そう ただプリプリとした。
そして母もそれを敏感に感じ取り 更に私はイライラとした。

今 すっかり機能低下してしまっている母を見ていると 母自身がどうこうできるものではないとはっきり判る。そして おかしな言動でもいいから 自分の言葉を発し 好きなように行動をして欲しいとさえ思ってしまう。

自分の神経と身体を酷使していると見えなくなってしまう事があると感じる。

頭の隅っこでは 私のやり方が一番ではないと認識していても 他の人に任せる事の罪悪感と自分でなければ出来ないと思いこんでしまっていたと思う。

家族にだって「見ているんだから…忙しいし疲れた…」そういったアピールを体中から発信させていたと思う。

その頃訪問していた方の奥様が 介護ストレスで倒れられて亡くなり ご自身も病に倒れた。
結局 同居なさっていたお母様を別の家族に託された。
その時に「俺の女房は 親に殺されたようなもの…」と呟かれたのである。

疲労困憊していた時に その言葉を伺った。
介護のあり方を考えておかないと 母が恨まれてしまうのだと悟った。
母には責任はないのだ。私自身のあり方なんだ。。。

ぶきっちょな私は 母と距離を置かないと「母のため」と突っ走る事をやめなかっただろう。
もう亡くなられてしまった利用者さんだが教えて頂いた事を感謝している。

あれれ干場さんのお話から 自分の話しに飛んでしまった。

先月 少しの間だが「彩星の会」にいらしている方の見守りをさせて戴いた。
介護もどんなにか大変と思うけれど 皆さん にこやかだった。
家族会で繋がっている…という安心があるのだろうなぁ〜。

穏やかな時が長く続きますように…と祈らせて戴いた。

今日は 久しぶりに普通の日。
銀行に出かけた帰り 一駅歩き河原の景色を楽しんだ。
葦が風に揺れて さわさわとしていた。
母と連れ立って歩いた時の事を思い出した。
そういえば 昨日「お出かけしよう」と母を誘った時「河原は 行きたくない」と言った。その時は「どうして河原?」と思った。
まさか あの時の事を思い出しているわけではないだろう…。
先日 みんなと出かけた川べりのお散歩を思い出していたかな?

それにしても 言葉にしないけれど 母は「今」を探って探っているんだろう。。。繋がらない時間を必死で思い出しているんだろう。。。
この所の母 とても不安そうな表情が多いのだ。
「涙が出る」と言っていた母。。。
冷たい風のせい…と思ったが そうじゃないのかも知れない。。。


はな |MAILHomePage

My追加