母のタイムスリップ日記
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| 2005年08月27日(土) |
面談から 介護暦を遡ってみた。。。 |
修士論文を仕上げる方に協力して 面談を受けた。 こちらからお年を伺ってみた。 その方は娘と同じ年齢だった。
家の娘と同じ年の割りに「若いなぁ」と感じたのは きっと学生と社会人の差だろう。 共通項もあった。お化粧だ。 娘もあまり化粧はしない。彼女もまた化粧をなさっていなかった。 スニーカーにジーパン姿も娘と同じ。 ついつい娘と比較してしまった。
本題は 認知症の母を介護する 娘の心の動きが質問の主流である。 介護論ではない。 幼い頃の母子の関係 中高生の頃の関係 学生時代から独身時代の関係 結婚出産から認知症と感じた頃の関係 介護が始まってからの関係 と言った順番で聞かれた。 最後に それぞれの時代に置いての親子の関係を絵で表してくださいと言われた。
質問後「母と娘を象徴するエピソードは?」と聞かれた。 母と私の関係の中で 母と娘と意識するのは おそらく出産を経ての時だろうと思う。 話していて自分も「娘」と意識してないなぁ〜と感じたのだが 彼女もそう感じたのだと思う。
これは新発見だった。 おそらく 両親共に私を娘として育てた事はないような気がする。 いや 娘と言う意識が全くないという事はないが 基本的には…。 「兄弟3人は平等。男も女もない」と言うのが基本姿勢だったのだろう。 私にいろいろ 手伝うように言ったのは娘だからと言うよりも兄弟の年長者と言う観点だったのだろう。。。 たまたま 一番上だったので いろんな事を頼んだと言うのが本当の所だろう。
質問している彼女も ご自分の母と娘の関係を頭に置いて自問なさっていたようで…「そういえば 私も母と娘と言う認識は有りませんね」と言われた。聞けば お母様も教職に就かれておいでのようだった。
蝶よ花よと可愛く育っては 来なかった。 そう 可愛くない。。。これが私の実態だろう。。。 俗にいう色気と言う所からは大分離れて育ってきたように思う。 これは 私の意思より親の方針だったと。。。お・も・う。
途中に 母親が入退院を繰り返し その時弟達は4歳2歳だったのでいろんな役目が私に回ってきたのは 必然的だったのだろう。
おそらく あの頃から介護を受ける役目は形成されていたのかも知れない。
書いてみると 実に素直な子供で問題なく育ったかのように感じるかもしれないが…。幼少期はさて置いて 母が仕事復帰後は 母親との衝突は繰り返される事になる。 「母のようには ならない」が私の目標になった。 いや 仕事への向き方は「凄い」と思ってはいた。 母親業の部分での話しである。
母親が親として凄いと感じたのは 激しい議論を戦わせ 母が涙を零して反対論を述べ更には 強行に親の論理を見せ付け物別れとなっても 翌朝には「言いすぎたね ごめん」と子供の私に謝ってきた事。 私の意見に折れるのではない。言い過ぎた事のみ謝るのだ。
激しく対立していた時は それがどんなに稀な事かも気が付かなかった。 大人になってみて 親が子に詫びるという姿勢は 誰もが出来る事でないと 気が付いた。
こういう母との厳しい対立をしたのは 兄弟では私だけ。 こういう事も きっと介護担当への道をせっせと歩んでいたという事になるのだろうと最近感じている。
結婚 出産。。。 その場面場面で母は手伝ってくれた。 定年退職をしたので 関れる時間も出来たのだ。
それも長く続かなかった。今度は父の闘病が始まる。 母にとっての父は かけがえのない存在で神経をすり減らして父の事を案じた。つまりは 母の心も次第に病んでいく事になり また 両親の介護が始まって行くのである。 結婚して2年を経ないうちの事である。
遠距離介護の始まりである。 父が亡くなるまでの10数年 それと重なる2年前後は母の認知症も。。。 つまり 結婚2年目辺りから 親の介護は始まっていたのだ。 我が娘の年齢から1を引いた年月が私の介護暦となる。 25年という事になる。 そこに夫の実家の兄と義父の介護が重なる。 夫は兄弟が多いので 全面介護にならず 兄嫁や義妹が居ったので頼まれた部分での介護で済んだ。 こちらの親の調子が悪い事も理解して戴いたので助かった。
だから母の認知症は特に特別の覚悟もなく 当然のこととして受け止めた。 ただ ほぼ24時間体制の介護(見守りも含めて)となり 子供の受験 就職 その時 疲労がピークに達し 施設入所を考えるようになった。 あの頃の平均睡眠は3時間ちょっとだった。
来客も多く 兄弟の関係も悪化しストレスもピークを迎えていたのだった。
認知症の母を介護する 娘の心の動きの聞き取りを受けて ふと流れた年月を考えてこんな事を書いてみた。
今 施設に託す形を取りながら 母と共に歩んでいると言う思いがある。 認知症と言う病がなかったら きっと母と共に歩む機会もなかったと確信している。 親子関係から解き放たれ少し切ないけれど 別枠での母を知る事も得がたい経験である。 そして 老いていく行く先の自分の事を考え始めている。 そう遠くない将来には看取りの時も来るだろう。 母の介護がなかったら 家族の会やまたネットワークの方たちとの出会いはなく 旧知の友人や家族の関係で過ごしていたと思う。 またメールや掲示板で知り合う人もなかったと思う。
子育て後の自分の生き方を模索していたので 若しかしたらもう少し別の生き方をしていたかもしれない。 それでも 別の生き方に匹敵するするほどの学びや恵を十分享受しているとも確信している。
まだ 残された課題は多くある。 それらの一つ一つをクリヤしていく目標もある。 何処に流れ着くのかは 判らない。 でも 母任せの介護の流れに逆らわず 無理のないようにすごして行きたいなぁ〜。
ちょっぴり 疲れ始めているけれど でもね。。。
大学院生との面談を終えた時 彼女が言われた。 「お聞きしていて 自分と母親の関係と似ている所があると感じました」と。 「ご兄弟は?」とお聞きしたら「2人姉妹で…今は自分に任せれつつある…」とも言われていた。お母様が遠距離介護に差し掛かっているという事だった。誰にでも いつかは介護の時は来るだろうし 若し介護に関らなくとも何時の日かきっと自分が介護を受ける時は来る。 生を受けた限り 介護は避けて通れない。。。
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