母のタイムスリップ日記
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2005年03月01日(火) 介護者のストレス


 介護の形は それぞれ身の丈にあわせて行くのがベストだろう…といつも思う。身の丈以上の事に挑む時 ストレスに見舞われることが多々有るからである。

今日の家族の会では 様々な貴重な話を聞かせて戴き 考えさせられた。

介護する上で 介護者以外の人とのトラブル。。。
これは 本当に苦慮してしまう。

「黙って見ててよ」「ちょっとは手伝ってよ」と感じ方はさまざまで有る。
介護する方が違うように 見守る家族の思いは 立場によっても異なって行くのだろうから 感じ方も更に多岐に分かれるだろう。。。

私は その事に気が付くのが遅かった。
もう少し 気持ちにゆとりにあったなら今とは違う形で協力体制が取れていたかも…とも思う。
今更 戻ろうと思っても 元に戻れる訳ではない。
出来た溝をこれ以上深く大きくさせないように…それだけが 課題である。
簡単そうで 実に難しい課題だ。
「兄弟って 何だろう?」「親子って 何だろう?」

「在宅で看取る」と言っていた介護仲間が 看取り終えた。
在宅で大変だった事は 危篤に陥った時 救急を依頼するかしないか…と言う所での攻防が有ったようだ。
同居している家族がリスクを覚悟していても 立場の違う家族が「救急…」と言いしたら 責任問題も絡んで更に窮地に追い込まれるようだ。

危篤状態の人を在宅で看取るという事は 命を預かると言う形でもある。
その責任を負う時の緊張は大変なものだろう。

責任をまっとうできても その後の気持ちの整理…。
「これでよかったのだろうか?」と言う思い。。。

命を重さを改めて感じさせられた。

また 印象に残った言葉として…。
介護されている方は 食べたい物の選択が出来ないで 可哀想と思うというような事を話された方がいた。
本当にそうだ。
私も 母の笑顔で「これで良かったんだ」と思うけれど…。
それは 勝手な解釈かも知れないのだ。
ひょっとすると 介護する側の気持ちに沿うように笑顔を発しているのではないかと感じてしまう事が時折有るから…。
言葉をなくした人を介護していく時 ぶつかる壁である。

そして 排泄がうまく行かなくなって大変だ出たという事はわかっているようだけれど…と言う話を聞いた時 「出たと認識できるうちはまだ良い。
出たのかすら 認識できなくなる時が有るのだから…」と重症になった家族を介護している家族が言った。

介護はその進行具合で 対処の仕方が変わってくるなぁ〜。


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