母のタイムスリップ日記
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2005年01月27日(木) 明るさの中に…


今日は しみじみと感じ入ってしまった。
と言うのも 実に大勢の入所者とお話したからである。

施設は 業者さんが入ってワックス掛けの有る日で 他のフロアの方が母のフロアに見えていたからである。

この中には 私の知り合いもいるし母と同じ時期に入所なさって居られる仲間も。。。
みんな認知症(痴呆)と言う病を抱えている。

帰宅願望の強かった方々も 少しずつ慣れていらして現況を受け容れ始めて居られる。
でも おそらく それぞれ帰りたい場所はみんなお持ちの筈である。
母が生家に帰りたいように…。
施設と認識している人は ほんの僅か。
此処が何処であるかなんて どうでもよいのである。

午前中は 母と同じ仕事をして居られた同じ信仰を持つ方である。
その方は 自分のフロアに戻りたくて落ち着きを失い始めていらした。
だから リハが済んだので母の居室にお連れした。勿論職員の了解を得て。
一緒に子供賛美歌を歌う。
「あら 何故ご存知なの?」と驚かれた。「同じお仕事 お役目だったのですよ」と伝えると驚かれた。「何処で?」等矢継ぎ早の質問。これが延々と同じ質問に変わる。幾度も同じ返事を繰り返す。
「あれ 何年生まれでしたかしら?」とこちらから質問すると明確に答えられた。母より3歳上。
「教え子さんが先生お元気ですか?と聞かれます」と言うと「あら その方何歳になられたかしら…」と言われた。
こんな会話をしていたら「あら 私 仕事辞めて何年経ったのかしら…」と考え込まれた。「あら すっかり判らないわ。今度書き出して思い出しておかないと…」と言われた。

母とこういう会話が出来たのは いつ頃までだったのだろう。。。
随分 深くタイムスリップしてしまっている事に今更ながら気が付いた。
お話している時母も直ぐ隣にいたのだけれど…唄えても 会話は全く出来ない。耳は聞こえている。でも話しに付いていけないのだ。

昼食が始まり 早めの方が食べ終えているのを確認してその方をホールにお連れした。

それから母と共に我が家に向かった。
今日はお掃除デイの様子なので入浴は無理と判断したからである。
母のお尻が荒れているのが 気になっていた。
綺麗に消毒して薬を塗布しているけれど…なかなか直らないのである。

家で昼食を摂り 入浴。洗髪 身体を洗う。
洗いながら「ごめん」と謝る。
母は何を言われたか判らない。でも 謝らずに要られない。。。
「早く治って…」と祈りながら薬を塗りこむしかない。
トイレ誘導。。。仕方ないんだろうねぇ〜。ごめん ほんとにごめんね。

風呂上りに 爪切り。これも入浴度に切る事にしている。
一時はかなり伸びていた足の爪が 様子を見ながら少しずつ切って 大分短くなってきた。それでも まだちょっとだ。
爪を切る時 母は身体を硬くする。「痛い?」と切る度に聞いてみる。
「大丈夫」とニッコリの笑顔で終えた。

気温が下がらないうちに 沢庵のお土産を持って施設に戻った。
沢庵は 義兄のお嫁さんが送ってくれたものである。
沢庵を付け損なったので 嬉しい贈り物なのだ。でも 沢庵は桶から出すと味が劣化していく。だから美味しいうちに施設の人にも味わってもらおうと思った。
施設に着いて直ぐ職員に渡すと 機転を利かせてくれて「お茶と沢庵」の味見となり みんな「美味しい」と食べてくれた。
笑顔が広がるのは嬉しいものだ。

みんながテーブルを囲んでいるので 動く玩具を母の居室から持ち出した。
以前なら ちょっとした時に母も楽しめたのだが…今はぬいぐるみと変わりなくて…話し相手にしかならないのだ。
テーブルの上の動く玩具には みんな興味を示した。
実際に動かしてもらった。
紐を引っぱって動かす亀さん。新幹線のチョロQである。
人の動かす様子を見ながら みんな触れて動かせた。笑いが広がり同じ物の会話も広がった。
頭のどこかで子供の玩具と判るようだが…でも十分楽しめたように見えた。

午後のホールは 午前中の方たちと違うフロアの方がいらしていた。
割りに顔見知りの多いこのフロアの方。。。
嫌がらない方を中心に頭を撫でてて手を握り会話をした。
「あんたは 明るい。良い人だって判るよ」等とお世辞まで飛び出した。

古くからの知り合いもいるので 母の居室にお連れした。
ドアは開け放っておいて 誰でも入れるようにしておいた。
そこで 歌を唄った。ホールで歌うとテレビを観ている方も居られるし 嫌がる人もいるからだ。
でも歌声は 聞きたい人には響いて行く。
「ね あんた ふるさと一緒なら この民謡知っている?」とドアの向こうから聞いてきた。
「ハイ知ってますよ」と唄いだすとその方も歌いだした。
母も手拍子を打つ。
こんな調子で 笑顔が広がった。
「あんたは何でも知っているのね」と言われた。
「いや 知らない事は 知らないんですよ」と言うと「そりゃ そうだ!」とまた笑う。

「私ね 駄目なのよ。聞けば判るけれど…1人では唄い出せないのよ。判らなくなってしまってね」と言われた。
母も数年前 そう言っていた。
今の母は そういった事さえ 言えなくなっているので有る。
「あのね 私もそうなのよ。すっかり忘れっぽくなってしまって 困ったモンなんだわ。みんな仲間だわね」というと母も知り合いも ドアの傍にいた人も大笑いをした。

笑った後に 1人哀しくなった。
あまりに明るい笑い声と事の深刻さのギャップ。。。

お元気な頃を知っているし 母だってそうだし…。
病の為す物忘れがちょっと恨めしく思ったりもした。

そう遠くない過去に 介護する事に途方もない気持ちになっていた。
忘れっぽい母の対処に苦慮していた日…あの日に抱いた母へのイライラ。
きっと あの時の母は いろんな事が判るだけに もっと辛かったんだろうと今になって思う。
やっぱり「ごめんね♪」だね。
認知症は 介護する方も介護受ける方も ほんとに霧の中に迷い込んでしまうものだとつくづく感じ入った。
いや 皆さん立派に介護なさって居られて 情けないのは私1人かも知れないけれど…。




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