母のタイムスリップ日記
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2004年12月05日(日) 老いの備え…

 早朝 凄い突風が吹き また家がグラッと揺れる。
布団の中で目覚めて眠さ半分で身体まで揺れていた。
在宅介護中の母のトイレ誘導の時の揺れと同じだなぁ〜と思いながらうつらうつらとしていた。
目覚めて雨戸を開けると… まぁまぁ 赤 黄の落ち葉が濡れた道路に張り付いてまるで模様のみたいだった。 玄関に回ると車庫には落ち葉がまた山のよう。。。
家の落ち葉じゃないけれど…しようがないよね。
直ぐに箒ではいた。
ご近所さんが「凄かったですね」と。。。
ご近所さんは早起きだからいいけれど…別の方は少しお寝坊さん。
音を立てないようにそーっとはいた。
道の方も掃き出すと さっきのご近所さんが出てきて「道路が乾いてからの方が…」と言われた。
でも今日はお出かけの日なので「出来る所まで やっておきます」と返事。
スーパーの袋2つ分を纏めて切り上げた。


昨日 娘が「お母さんは よく動くねぇ〜。自分がその年になって動けないと思うよ」と言っていた。
でも 母だってこの年齢の時は仕事をしていたので 私が特別という事は無いと思うと娘に伝えた。

問題は何時頃だろう。。。とふと思った。

仕事を辞めた母が「生涯教育が必要だから 役所の教室に申し込んだら年齢が足りないと言われた」と言っていた事を思い出した。
60歳ちょっとの頃は まだまだ 意欲的だったのだ。
コーラスのサークルに入ったりもしていた。
ただ 仕事をしていたという事とご近所でのお茶のみが苦手では有った。
それでも出来る限り…と心がけてコーラスで知り合った方に編み物を教えたりしながら助けあっていたように思う。
ただ体調の変動で 意欲をなくす事も度々有った。
父の介護と重なる時期である。

もう誰かに頼って過ごしたい…と思い始めた時期が65歳以降だろうと想像している。この辺りから感情の揺れが大きくなる事が増えた。
70少し前から 電話でのフォローが始まっていた。
愚痴の聞き役である。
電話を度々間違えるようになったあたりで少し怪しげだったのだろう。
鍋を焦がした…という事も重なり その度に落ち込んで行くのが見えてきた。そうだ…1人で我が家に来る時も電車の乗換えが分らないからターミナル駅まで迎えに来て…と言い出したのもこの頃か?
最終の一人旅は…この70を挟んだ頃までだろう。

お中元 お歳暮などの品を私に任せだしたのは それ以降かな?

う〜ん。この70を挟んだ頃が 過渡期だなぁ〜。
この頃から 始まっていたんだなぁ〜。
普通の生活はできていたけれど…。

やはり 痴呆が始まって15年くらいは経過しているんだな。
病と診断されて13年…。
この誤差2〜3年の間はちょっと呆けつつあったのだな。

入眠剤使用とも重なる時期である。

呆けてしまう事をおそれつつ その対策も多少は気に留めながらいた母だからこんなにゆっくりとしていたのかな?

重要なのは きっと呆け始めの時だろう。
多少の間違いが起きても気持ちが落ち込むような時があっても臆せず社会と繋がり続ける事がキーポイントなのだろう。

老いて行く先の事は 何とも言えないし痴呆にならないという保障はない。
母が教えてくれた病…。
自分はどう老いて行くべきか…を学ばせて貰おう。。。
気張ることなく…だろうなぁ〜。

どんな病にも始まりはある。
ガンだって 痴呆だって…成人病には違いないだろう。


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