母のタイムスリップ日記
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2004年08月06日(金) レストラン「貸切 」だったよぉ〜


 利用者さん訪問
広島に原爆投下された日で…利用者さんは 忌まわしい戦後のお話をして下さった。じっと耳を傾けた。いや、手はキッチン掃除で動いていたけれど…。
この話は 終戦記念日に伝えようと思っている。

活動が終える頃 利用者さんが「沢山のお話を聞いてくれて有難う。聞いてくれる人がいる事は 何より嬉しい」と言われた。
今まで 活動していて いつもみんなにそう言われて来た。

母の在宅の頃 幼い頃から聞かされて…尚且つ痴呆症という事で同じ話が加速して増えて…うんざりを通り越して耳を塞ぎたくなるような日々だった。
それでも 利用者さんを訪問して「聞いてくれて有難う」と言われると母の話に耳を傾けない自分の姿を思い出して…気を取り直せた。
教えて貰ったり 助けて貰ったのは 実は私の方なのであった。

今日は 母の居る施設の外食の会だった。
入所者とその家族と職員と…みんなでレストランで会食。
洋風のコース料理で…。
入所者の多くが参加出来た事は 本当に良かった。
普段の施設では 見られないほどの笑顔が零れていた。
これには ほっとした。
私の家族ではないけれど…いつもいつも 哀しく寂しく思っていた。
連れ出せるものなら…車椅子を押しても連れ出したい…そういう衝動に駆られていたのだ。
「人の事より母優先」そう言い聞かせて 外に飛び出していたけれど 見ていられない…そういう面もあった。

いつも食欲が落ちていたのに…皆さん良く召し上がっていた。

このレストランには 母は何回か来ている。
「ここは初めての所ですか?」と聞くと「2.3回来た事があるね」と言った。
初めて母をここに連れて来た時は ご飯を食べない絶頂期だった。
外食なら気持ちが変わるかとアチコチ連れまわった時期の一店である。
食べない母を前に怒鳴りたくなる衝動を堪えに堪えて 優しく「食べないと…ここはおいしいのよ」と私自身に言い含めるように言ったものだ。
胃がキリリと痛んで…本当に苦しかった時期である。
母は、覚えていないだろう。。。
最近も 他のお店が混み出す時間は この店に来ていた。
ステーキもコロッケもエビフライもすき焼きも…確かお刺身もだ。
味噌汁あり スープあり。
味は悪くなく それでいて空いているのが魅力なのだ。

ただ 2階なので施設の車椅子の人 歩けない人は担いで貰わないと入れない。今日は 職員の方が助っ人も借りて…担ぎ上げて下さっていた。
これは 本当にご苦労様だった。
助っ人は 男性が多かった。力持ちはやっぱり男性だ。

母の食事の具合は おかしかった。
フォークをコップで濯いで見たり…紙ナプキンをテーブルに広げたり…。
奇妙な行動が多かった。
そばで注意深く見守りが必須。
しかし 食欲は旺盛で 出た食事は 全て食べた。
ご飯をお願いしたが その前にバターロールを一個食べたので ご飯は半量残したけれど…。ステーキも全量摂取。
施設長さんが 母の向かい側に座られた。
アチコチの方の様子をみて…「○○さん(母)は しっかりかんで食べれている」と感心なさっていた。
母は 歯根が数本残っているので そう入れ歯だけれど引っかかりがあるのが救いである。食欲もあるのが救いである。

これだけ咬めれば 嚥下の心配も先のことだろう。
一時は 嚥下が気になったけれど…普通に戻ったようである。
「良く咬んで食べる…」これは 嚥下になりかけても快復できると母を見ていて知った。
母の老いて行く様子は 私の老いて行く先の学びの時でもある。


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