母のタイムスリップ日記
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| 2004年04月20日(火) |
痴呆に関する記事2件考察 |
今朝の新聞に痴呆に関する記事が2件在った。 ひとつは虐待 記事を読んでみてケアマネのフォローが救いだった。 虐待の深層に「介護疲れ」とある所である。 虐待を肯定はしない。 それでも誰もが陥りやすい…と思う。 私自身、叩くような虐待はしなかったけれど、無視はあった。 母と口を利かない事で自分自身の気持ちを静めていた。 痴呆の入り口にある母の現実離れした話に付き合っているのはかなりの苦痛だった。一日に百回以上も同じ事を繰り返し聞かれ それも母の納得の行かない話を受け容れて 自分の事が何も出来ない…。 これに、かなり苛立ってしまった。 口を利いて貰えない事で母が参って行くのが判っていながら そうするしかなかった。 その根底に兄弟の協力を得られない苛立ちもあった事は否めない。 また、夫の事娘の事…も重荷になってしまう事もあった。
疲れ果てて他に気持ちを変える事が出来なかった。
後で 情けないなぁ〜と落ち込んでしまうのがオチなのだ。 母も私もおそらく夫や娘だって 深いダメージを負ってしまうのだった。
虐待してしまうのは男性に多いと言う。 ひょっとすると大黒柱で仕事と介護を背負っている人が多いのではないかと思う。また 男の子を持つ友人が「娘より息子が可愛い」と言う話を良くしてくれる。このあたりにも、男性に虐待が多い原因があるのではないかと感じる。 情の部分と疲れとが一緒になってしまうのではないかと思ったりする。
一人で介護を受け持っているとどうしても主観的な介護となりやすい。 男性や一人で介護している人には サポートしてあげる体制を取り入れるべきだろうと思う。そうする事で介護疲れや負担を多少緩和できるような気がする。介護放棄の虐待もあれば 善意からの虐待という事もきっとあるだろう。少なくとも善意からの虐待であれば 疲れや負担を緩和できれば防げるような気がする。 折角の介護が意味の無いものになってしまう事は あまりにも過酷過ぎると思う。
もうひとつの記事は 痴呆症と言う呼称の変更である。 これは、私も以前は「嫌だな」と感じた時期がある。 今は そう感じない。 私の感覚が麻痺してしまったかも知れない。 でも呼称だけ変えても痴呆べっ視が有る限りあまり意味が無いような気がしてしまう。とても微妙な言い方だけれど 言葉が悪くても根底に 暖かさがあれば問題が無いように思う。
呆けてはいても 尊厳を守ってもらえない時の感情の高ぶりは痴呆度がかなり進行しても残っている。 これは、施設介護に長く関っている方からも聞いた事があるし 精神科医もそう言っている。 言葉より 痴呆者の尊厳を守ってもらう事の方がずっと良いと思ってしまうのである。
と新聞記事の事は ここまでとして。 母は、誠に機嫌が悪かった。 居室で母の衣類の入れ替えをしている時は特に変化は無かったのだが…。 4月のお誕生会に出てから不機嫌になった。 一緒に居なかったからか?他の人と話していたからか?外出しなかったからか?それぞれ心あたりがあって どれかが判らなかった。 でも、これまでの事を考えてみると他の人と話していたからだろうなぁ〜。
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