母のタイムスリップ日記
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母の病が軽度から中度に差し掛かっていた。 「家に帰らせて戴きます。おかちゃんが待っていますから…」日に幾度も繰り返される言葉にげんなりする日々だった。 また、鬱状態に陥って一日中畳みの目を数えるような日々だった。 そんな訳で少しでも気を紛らせて貰おうと手仕事を頼んでいた。
「あのね。縫い物ができない人がいて、どうしてもおばあちゃんにやって貰いたいんだって」と言いながら刺し子を縫って貰っていた。 「こんな簡単なこと どうして出来ないんだろうね。私は下手なのに…」と言いながらも 調子がよければ半日の時を縫い物に集中していた。
そんな様子を知っていた友人は、母に双子ちゃんの小学校入学に必要な体操着入れを作って欲しいと母に頼んできた。 その頃の母は 時折訪れる友人の子供をぼんやり記憶していた。 勿論友人の事も判っていた。季節には、顔を見せてくれていたし介護に行き詰まった私を訪問してくれていた。 「人の役に立てるなら…」と母は快諾してくれた。 もう、針目だって揃わなくなっていたのだけれど…料理する時も私の助手をする位で人の役に立つなんて久しくなくなっていた。 ただ、その頃の母の記憶は 消えてしまう事も多くて 受けては見たものの最後まで出来るか…という不安も残った。 駄目なら途中から変われば良いさと思った。
数ヶ月を経て 二つの体操着入れとズック袋(だったかな?)と給食用のナプキンが仕上がり 友人に送った。 友人と双子ちゃんは、とても喜んでくれた。 それより、こちらが双子ちゃんの話題も含めて母の可能性を感じさせてくれた友人の配慮に感謝していた。 作品としては そう立派な代物ではなかったのに、感謝してくれる友人に頭が下がった。
今日「お蔭様で子供も卒業しました。あの体操着入れの写真を撮ってお母さんの所にお礼方々伺いたいのだけれど…」と言う電話を貰った。 春休みのうちに…との希望で来週あたり…という事だった。 「31日が母の満88の誕生日で、施設で誕生会がある」と伝えると「そりゃ、おめでたい日だぁ〜。その日にしよう」という事になった。
でも友人は、身体の調子が良くないのである。 2時間近くの道のりはかなりの負担になる筈である。健康な私ですら余裕を持たないと行けないのだ。 「決して無理をしない事。駄目な時は直ぐキャンセルして欲しい」と頼んだ。
その友人の双子ちゃんの卒業式の日。 校長先生は、お話の原稿を前もって彼女に渡してくれて 隣に座ったご主人が話している場所を指で辿ってくれて「今」を共有させて貰ったと言っていた。最初の子が入学してから19年を経て ようやく 小学校とさよならである。「お疲れ様でした…」と言葉をかけた。 「いやぁ〜。お母さんたちが自分より10年若いのよねぇ〜。中学に行けばまだ年齢の近い人がいるから…」と笑っていた。
電話に出た双子ちゃんも もうしっかりとした口調で「ねぇ〜○○ママの所に行来たいなぁ〜」と言っていた頃の姿は微塵も感じない。 私の中では何時までもけんかして泣きべそをかいた儘の双子ちゃんなのになぁ〜。 よそ様の子は 大人になるのが早いなぁ〜。
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