母のタイムスリップ日記
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| 2003年11月24日(月) |
そう、そうなんだよぉ〜 |
今朝の朝日新聞のオピニオンのページに「痴呆患者の心の声を聞け」と題して論説委が書いていた。 そこを読んで思わず頷いた。 そこには、例の小澤勲教授の言葉も載っていた。 最後のみ抜粋すると 「痴呆の人たちは、たとえ離せなくとも伝えたがっている。言葉が自由に話せるときは使ってなかった表現力を引き出し、本人が重荷に感じていることを誰かが代わって引き受けるような介護が普及すれば 痴呆をめぐる状況が大きく変わる可能性がある」日本でも痴呆当事者の声をもっと施策に反映させようと動きもあるらしい。
母の介護に関りながら、ずっと感じてきたことである。 今だって色々の発見が有る。痴呆という病の認識が違うのじゃないか…と思われる事が多々出てきている。 分からないのじゃない。分かっていても言えなくなって来ている…。心の中にはいっぱいの思いが詰まっている…と感じるのである。
そこの部分が見えるだけに、昨日は施設に戻せなくなった。 施設に向けては「面倒をお掛けするので…」と言ったけれど…。 そういう事では無い。 今、治療のための薬服用も微妙に影響して足元がふらつく。いや、薬だけのせいにはしないけれど…。勿論、足の浮腫みもかなり強く出ている。これも、薬が影響していると見ている。 便の緩みも同じである。 夜間、一人でどうしてよいか分からなくなるのが見える。
「お母様の訴えが、お腹なのか手なのか聞いてもよく掴みきれなかったようです」と職員から言われた。 でも、私にはそこは判る。(母の事も施設の事も) 手も痛いし、お腹も痛い、歯も痛い、お尻も痛い、足も痛い…。でも、それを訴える事は不可能で ただ「痛い」としか表現できない。 訴えは、傍にいれば分かる。また、動作を見ていれば 分かる。おかしな仕草をした時に直ぐ聞けば 母は、話せる。 それを、総合的に見ていけば 見えてくる。 でも、施設には そこまではかなりの努力をしないと見えて来ないのも事実である。
だから、昨日は帰せなくなってしまったのである。 夜間、一人立ち上がる事もしないで不安になる母が容易に想像できた。 病人が慮ってベルを押さないのも辛いけれど、訴えたくても訴える手段すら思い浮かばない状況…である。
昨夜は、私に油断があった。 午前零時に最終のトイレで十分量の排尿があったので 安心して寝入ってしまった。「おかちゃん」の声が幾度か聞こえて「手が痛いのだろう」と うとうとしながら 手をそっと繋いでいた。 それでも一向に止まらないのでトイレに誘導。見るとパンツから溢れるほどの尿量だった。全部着替えたのが2時。そこで、また安心して寝入るとまた「おかちゃん」が…。「まさかね」と思いながら再度トイレへ…。また溢れる寸前の尿が…。パンツを替えて再度眠ったのが5時…。 その後、母は熟睡。でも、こちらは、夫を送り出さなければならなかった。
不思議な事に起きている時間よりも尿量が多いように感じた。 今、尿量を多くする薬を服用しているけれど、昨日は泊めるつもりでなかったので薬は服用して無いのだ。
それでも8時前には母を起こした。 気になっていた足の浮腫みを一番先にみた。大分良くなっており足の痛みの訴えも消えていた。それでも、血圧は190あった。深呼吸をさせて数回測っているうちに180まで下がったけれどやはり高い。家の血圧計のせいもあるかも知れないが…。 朝食を済ませて再び塗り絵に挑戦。今朝は、久々に調子よく綺麗に色分けしながら楽しそうに塗っていた。 昨夜の赤一色の塗り絵とは大違いである。 近隣を早足で小一時間散歩。足の痛みは無いようであった。 そうやって、昼食過ぎまで家で過ごし、おやつ前に施設に送っていった。
付記ながら、やけどの痛みの訴え、痛がる事は夜間一度も無かった。 前日は、痛み止めを服用させたと言っていた。 おそらく、前日の痛みは 腹痛だったのだろうなぁ〜。
ついでに、やけどの処置もやったけれど「少し痛い」とは言ったけれど嫌がったりする事はなかった。 これは、想像だけれど…母が「痛いからやだ」と言ったのは手の甲を使っての抗生剤の注射のせいだろうと思う。幾度もの失敗した跡で母の手の甲と手首は真っ青なのだ。私の得ている情報では手の甲への注射はかなり痛い物と言うから…。
そんなこんなで家でのショートは、母の様子を知る良い機会になった。 そして、汲み取ってもらえる安心を得ている母を見ていて 自分の勝手さを改めて反省…。「ごめんね」というしか無いのだ。
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