母のタイムスリップ日記
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2003年11月13日(木) 知らない歌は歌えない…


 母が病となってから知った歌がある。
今でこそ 一緒に歌うけれど…最初は歌えなかった。
覚えようという気にもならなかった。
そんな事をしなくとも母と一緒に歌える歌はあったというのもある。
でも、きっと そんな理由ではなくて どっかで「そんな歌…」と言う思いがあったのだと思う。

デイの職員が「お母さん フルで歌えるから教えてもらっているの。
これを全部歌えるってすごいのよ。他の人も引きずられて歌いだすのよ。おかげで送迎のバスの中が和やかになるのよ」と言われた。
それでも 未だ何処かで「ふーん」と思っていた。

中学時代の担任が歌が好きでありとあらゆる歌をプリントして配った。
HRには必ずそれを広げて皆で歌った。
時にハモる事も要求されるので家でも歌っていたのだ。
その時に母の知っている歌があるとハモって来たのだった。
一緒に歌うつもりが無くとも 自然にそうなってしまうのだった。
だから、母と共に歌える歌はたくさんあった。

でも、だんだんに母のレパートリーが減ってきていた。
「分からない」という事が多くなった。
その辺りになって職員のなさっている事の意味が少しずつ理解できるようになってきた。「忘れないように配慮する事」また「過去を引き出してあげる事」が大切なのだなぁ〜と。
最初は、とても恥ずかしかった。
でも、母の生き生きとする表情を見ると 求められている事を感じるようになった。

以来、母と歌うのが当たり前になってしまった。
外を歩いていて人とすれ違う時だって もう なんでもない。

不思議な物で そうなると通りすがりの人は「ほほえましい」と見ていてくれるようになった。

介護を続けていると こんな風な事がいっぱい出てくる。
「自分も楽しい」と思える方が 効果は上がる。
以心伝心みたいなものだろうか?

今日、施設から電話が入った。
受話器を取って施設からだと分かった時 午前中 活動で留守にしている間にまた 何か異変が起きたのか?とひやっとした。
「○○さん(母の名)…」と言われた時は、緊張がピークとなった。
ま、ちょっとした事故だったのでホッとしたのだけれど。
「お茶を入れた時に腕にやけどをしました。水ぶくれとなったので医師からの指示を受けて軟膏を塗って包帯をしています。すみませんでした。」という事だった。
「お茶のお湯で水ぶくれですか?」と聞くと「いや、お手伝いをして貰っている時の事です」と言われたので「作業中だったのですからそれは、仕方ない事です」と伝えた。

作業中の事故は、避けるべきだけれど だからと言って 何もさせないで貰いたくは無い。家にいてもそういう事は起きる。元気な私だって起きる事である。
だから そういう事で職員を責めるつもりは全く無い。
気を使って電話してきたんだろうな…。
やけども見てみないと分からないけれど…。
お風呂に入れる時は、ちょっと騒ぎなるなあ…。
あれは、沁みるからなぁ〜。痛いのが嫌いな母だから…。
ま、仕方ないね。


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