母のタイムスリップ日記
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2003年05月30日(金) ドッキン!

「●●おじさんが来るのよ」「ほーっ。久しく会っていないねぇ」
この時の母の頭の中におじさんがちゃんとイメージされていた。
おじさんと会った時もおじさんと認識できて挨拶をしていた。
けれど、おばさんの顔を見ても思い出せない。でも 相手が丁寧に挨拶しているので条件反射で挨拶をしていた。
ところが、二人揃っている所であらためて挨拶を交わすと二人の事をきちんと認識して挨拶しているのである。

こういう感覚は、何となく理解できる。

母が嫁いだ時おじさんは高校生だった筈。
だから、古い記憶なので思い出しやすいようである。
おばさんは、その後 出会っており、其れも離れた所に住まわれていたので記憶が揺らぐのだろう。
二人揃えば、何とか思い出せるようだった。

けれど、母は興味が持続しなかった。
昨年なら同じ話の繰り返しでも断片的な思い出を相手と話すことが出来た。
けれど、今日の母は相手に関連した話題は全く出てこなかった。
詰まった時の「良い天気ですね」すら出なかった。
相手を前にして、何かを話そうとする意志がないのである。
不機嫌だからではない。
とても心地よさそうな表情で穏やかなのである。

食事をしていても、一人黙々と食べる。
私と食事する時は「おいしい」と言う。「これは何だろう」とも言う。
でも、そういう言葉が、一言もない。
まるで、施設でご飯を食べているみたいに…。

おじさん達との会話にも全く入ってこない。
ほんとにひたすら食べ続ける。
目の前にあるものを順番に食べていく。おかずを一つ食べ終えると次のおかずへといった具合だった。
皆より時間がかかると「遅くって…」と気にする母だったが、其れも全くないのである。

完全に自分だけの世界を走っている様に見えた。

おばさんが「横にならないでいいの?」と私に聞いた。
疲れているように見えたのだろう。
「はっ」と思い、母に折り紙や塗り絵を出してあげて傍らで作業して貰った。
其れを見て、おばさんは安心した様子だった。

私にとって当たり前の姿の母だけど久しぶりに母に会うとやはり心配になるのだろう。

それにしても、感情が真平らすぎる。
私の事を「娘」と認識出来なくてもそんなに哀しくはない。
大切な人であると認識できるからそれで充分。
でも、私以外の人が、だんだん記号みたいな存在になって行くと思うと何だか哀しくなっていく。
思い出もどんどん消去されていくのだろうか?
何に対しても関心を示さなくなったら…。
何れは、来るだろうと思っていた現実がそう遠くない所に来ているのだろうか?ちょっと「どきっ」としてる。

久しぶりにいつもと違う人と出会ってみて、何が欠落し始めているかが見えたような気がした。

毎日の生活からは、なかなか 感じ取れない事ってあるんだな。




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