母のタイムスリップ日記
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2003年05月20日(火) 介護にまつわる風景


 故郷の会に出かけて居る時安否確認の電話を入れた。
携帯電話を持たない主義の私の義務でもある。
すると弟から留守電が入っているという事で「どう対応しようか?」と言われた。「用があれば、かけ直してくるだろうから其の儘で良い」と返事した。
内心では「帰郷している姿でも見たかな?」とドキッである。
家人は、それぞれ用があり家を出た。留守電の設定もせずに…。

母を施設に送り届けて家に戻った。
留守電の設定をしてなかったので、着信履歴を確認してみた。
すると、弟からの履歴があった。
繰り返し電話をかけて来ることはない人なので「何かあったかな」と気になリ弟の携帯に電話した。
けれど、呼び出し音は聞こえても応答なし。
「やっぱり、何かあったか?」と胸騒ぎ。
今度は、自宅にかけ直す。「ピンポンパンポン。この電話は、現在使われて降りません」「えっ。そんなぁ…」
番号表示を見るとダイヤルミスだった」
気を取り直して再度ダイヤルイン。
「はい」 「●●です。▲▲居ますか?」
「いいえ」 「電話貰ったので携帯にかけて見たけど出ないので…」
「電波の届く所に居ます」「はい。じゃ、かけ直します」
これが、弟の家人との会話の全て。
何事もなかったとほっとしたものの「何か相談でもあったかな?」と凝りもせずに携帯にかけ直すがやっぱり出ない。
全く、馬鹿丸出しの姉である。
でも、弟の携帯には姉からの着信履歴がしっかり残されている筈である。

そして昨日の朝、弟から電話が来たのだった。
「連休に行けなくて…。婆さんまだ入院してるのか?」と。
「ギャッふーーーーん」
  母が入院したなんて言ってないもん。そういう事実もないもん。
  あんたはん、母が入院していると思っていたんだぁ。
  それでも、今日まで面会にも来ないし、電話もしなかったんかいな。
  それに連休じゃなくて、3月の4週には仕事の区切りが付くから行くって
  と言ってはったんとチャウかいなぁ。
と言う言葉をググッと飲み込み 母の経過の概略を話した。
すると「よく判らなかったから…。大体わかったよ」と言って電話は切れた。

いつも、こんな風だけれど、今更ながら母に何か有っても当てには出来ない存在であることを再認識させられた。

それにしても、弟にとって母の存在ってどういう位置づけなのかな?
何だか、また、母が不憫に思えて来た。

父の声がした。「兄弟仲良く…」
私の感情のボタンをリセットするしかなかった。
でも、夫には言えない。

実は、故郷でも似たような事が…。
現在、遠距離介護をしているその方を今度の会にお誘いした。
彼女は、介護を会に合わせて帰郷なさった。
病院で待ち合わせをしたので、迎えに行ったのだった。
時間が過ぎてもロビーに下りて来ないので病室まで訪ねてみた。
彼女の目に涙が光っていた。
「別れが辛いのだろう」と思ったが傍に弟さんの姿があり 何となく状況を察せられた。
車に乗り込んでから 話を伺い 貰い涙。

私と兄弟の関係もそうであるが、同じ親から産れ、育ち 仲良く助け合って来たのに、「介護」に関しては何故こうもギクシャクしてしまうのだろう。
親は、遠慮して本人の前では本音を言わない。
できる限り冷静にと思っても、ギャップは深まるばかり。
難しいなあ…。

たまたま、私も友人も立場は嫁いだ娘。
でも、これは、息子だってありえるし、嫁がなくっても起きるのである。

昨日の会の帰り、夫の友人に出会った。
夫と待ち合わせていると言うので、夫の来るまで立ち話。
ここでも親子の事。
彼には同居のお義母様が居られる。
そのお義母様に、家族が口を揃えて「何呆けているの!」を連発しているらしい。あろう事かお孫さんまで。
聞いているとお義母様は、70歳後半でどうやら普通と痴呆のグレーゾーンに居られるようであった。
「痴呆始ってないかな?」と聞くと「いや、ちゃんと生活できている」と言われた。
「痴呆だって普通のちゃんとした生活はできるのよーん」とは言わなかった。
でも、あまり呆けたと言うと自信をなくしてうつ状態となり仮性痴呆になっていくから必要以上に怒らない方がいいよ。とだけ伝えた。
夫も来たので話はその辺で打ち切った。

高齢者の幸せは高齢者でないと判らないし、人によっても違うけれど「心」ってお互いを繋ぐ要のようなもので、介護には欠かせないと特に感じるのです。


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