2015年02月25日(水) |
杉原美津子『ふたたび、生きて、愛して、考えたこと』★★★★☆ |
杉原美津子『ふたたび、生きて、愛して、考えたこと』
内容(「BOOK」データベースより) 炎に焼かれ、奇跡的に生還した新宿西口バス放火事件から29年、さまざまな困難を乗り越え、レビー小体型認知症の夫を看取った私に、癌の宣告が下される。かくも過酷な運命を生きること、そして死んでゆくことの意味とは、いったい何なのか。第3回池田晶子記念わたくし、つまりNobody賞特別賞受賞。
2014年12月7日に肝臓がんのため死去されたとのこと。 読みながら、今はどうされているのだろうと気になっていました。私は彼女の遺言を読んでいたのですね。
メモ。
「朽ちる時が来るまで、人はしあわせでいなくてはいけない。朽ちる時がきてもなお、人はしあわせでなくてはいけない。しあわせとは、やさしい気持ちになれることだ。どんなに過酷な状況に置かれても、最期までやさしい人間でありたい。(略)最期まで精一杯に美しく、精一杯に楽しく、できなくなるときが来るまで私も、精一杯に、生きるのだ。」(p39)
「直視すること、だけが正しいのではなかった。 急ぐことはなかったのだ。 受け止めることが今は能力にあまることであれば、『待つ』という寛容さが自分自身に対してあってもいい。その寛容さが、受け止める力を蓄える余裕を与えてくれるかもしれない。」(p150)
「生きるということ、それは『習作』を重ねていくことであったろうか。二人で行きた年月も書いては書き直し、なんどもそれを繰り返し、寄り道や回り道をしながら、『習作』を重ねてきた道のりだったのだと思う。(略)生きてきたことのすべてが無駄ではなかったと思う。」(p151)
「『死ぬ』ということになったら、便利であったはずのモノも、大枚を叩いたほどのモノも、なんの価値もなくなる。価値がなくなればただの『ごみ』になる。」(p167)
「生きている間に、ではなく、自分で十分できるときに、できなくなったときでも自分でできるように、できる限りの準備を整えておきたい。」(p173)
そのように、準備をされて逝かれたのだろうなと思います。 私自身も、いつか必ず来るその時の備えを、自分ができる時に進めておきたい。
「苦しみは、ひとりで手をこまねいていればいっそう重くなる。逃げ出そうとすれば追いかけてくる。放り出そうとすればしがみついてくる。 だが苦しみは、向き合って受け止めれば『糧』になる。ひとりになってはじめて、そのことを知った。その時、私を待ち構えている『死』の意味が、『絶望』から、残された時間を精一杯に生きる、自分への最後の『挑戦』に変わっていった。」(p191-192)
助産婦がいるなら、助死者がいてもいい、という著者の意見に私も賛成。 人は、一人で生まれてくることも死ぬことも本来できないものなのかもしれない。 死を伝えていくことで、残された人の生と死に対する意識も変わっていくはず。
杉原美津子『ふたたび、生きて、愛して、考えたこと』
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