2013年11月06日(水) |
マーヴィン・トケイヤー『日本には教育がない』★★★☆☆ |
マーヴィン・トケイヤー『日本には教育がない』
メモ。
上から教えられ他人と同じものを学ぶLearn、生徒自身が中心となって学ぶstudy。
「教育の目的には、社会の役に立つ、自分の生計を立てる、人間として向上する、という三つがある。」(p21)
「目的意識のない社会や、目的意識のない人間は、子どもに自信を失わせるとともに、混乱しか生み出さない。」(p27)
何をよりどころにしていいかわからない大人のもとでは、子どももよりどころがわかない。
「教育のなかで、自己教育ーセルフ・エデュケーションは大きな地位を占めている。子どもたちは習うとともに、自分から関心を持ってさまざまなことがらを学びつつ成長する。ところが、習うことばかり強調する教育は、セルフ・エデュケーションの機会を奪ってしまう。」(p34)
「私の日本人の友人によれば、日本人はきわめて事大主義であって、あらゆるものに『学』をつけてしまうという。そこで、英語であれ、経済学であれ、原子物理学であれ、つまるところはハウ・ツウであるのに、日本では『学』をつけてしまうので、もったいぶったものとなってしまう。」(p54)
しょせんハウ・ツウ。 そう思うことは、目的と手段の混同を防ぐのに役立つように思います。
子どもを自分の付属品とみなす日本、天からの贈り物と考えるユダヤ人。
「子どもは親の分身ではない。ユダヤ人にとっては、わが子であっても子どもはあくまでも独立した人間なのである。」(p84)
森の中で教われた時に、子どもを抱きしめる日本の母と、子どもの前に立ちはだかるユダヤ人の母。
「ユダヤ人の両親は、学校はあくまでも補助的なものであると考えている。教育の中心は家庭であり、この地上に家庭ほど重要な学校はないのだ。そして、子どもの教育の担い手は両親である。」(p99)
なにをやっても成功しないだろう、と成績表にかかれたアインシュタイン。
「学校の評価を基準とすることなく、自分たちの家庭における基準を用いたのであった。といって甘やかしたのではない。ただ、家庭を学校の分校とすることを拒んだのだった。自分たちのしっかりした世界を持っていたのである。」(p100)
「しかし、ユダヤ人の子どもの場合は、自分のために勉強する。物心がつくと、勉強することが自分に与えられた責任であるということを執拗に、くりかえして教え込まれるのである。」(p134)
アキバとヒレルの教訓。 エルサレムがローマ軍に包囲された時の学者たちの判断。
「ユダヤの家庭では、幼いときから、子どもはつぎのような歌を教えられる。 私がやらなければ、いったい誰がやるのだ 自分のためだけに物事をするとしたら、 私はいったいどんな人間だろうか そしていま必要なことをしなければ、いつやれるというのだろうか」(p1036)
「ユダヤ人の家庭では、父親と子どもがいっしょに勉強する時間を幼いときから持っているので、テストをされているのではないことを知っている。」(p164)
「ユダヤ人の教育では、子どもが自分で責任を持って物事をやるようにしむけるということに力が注がれる。自主性を伸ばすといいかえておよいだろう。」(p175)
そういった教育が行われていれば、日本でもノーベル賞を受賞するような人材がもっと生まれてきていたはず。
「学問は密より甘く、水のように自由」(p180)
マーヴィン・トケイヤー『日本には教育がない』
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