刑法奇行
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もうすぐ春休みも終わる。春休みは子供の頃から好きである。まったりとしていて、それでいて何か明日への希望がある時期である。永遠に春休みであればいいと思うが、それは定年後の楽しみにとっておこう。
授業がはじまるということは、教育をする時間が多くを占めるということである。そして、ローにおいては、その教育力が重要となるのである。 しかし、われわれは、教育力など一度も訓練されたことはないのである。研究するために大学院に入ったのであり、教え方の勉強などしたことがないのである。大学に就職して、試行錯誤で少々身に付けてきたに過ぎない。
教育とは何かってことを議論したら、ネバーエンディングストーリーになってしまうだろう。そもそも、われわれの時代は教師に対して要求することはほとんどなかった。そもそも、教師とか教授とかに関心がなかった。関心があったのは、目の前の教師ではなく、会ったことのない漱石だとか太宰だとかであった。
また、教えないことが教育であるという定義が一番好きである。自分の勉強があって、ぎりぎりのところで先生に聞く、しかし、先生は教えないか、禅問答的なことしか言わない。
すなわち、教師は不作為犯でなければならない。しかし、不作為とは何もしないことではなく、何かをしないことであり、何かとは何かという問題が再び生じてくる。
まあ、いずれにせよ、4月から授業が「とんでとんでとんでとんでまわってまわってまわる〜」のである。
ジャーニー to 夢想花
norio
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