刑法奇行
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2006年05月21日(日) 美しい私の日本?

 新聞に写真が載ったが、どうも顔が変である。美しくないのである。思えば、これまで写真やテレビで美しく撮れたものがないのである。かみさんに言わせれば、「元が悪いからしょうがないじゃない」そうである。しかし、同僚や学生からは、地の方がいいと、お世辞であるとしても、そう言われると、やはり写真写りが悪いということを否定できない。女性の多くは持ち込み写真を使用するが、別人28号という場合もあり、正太郎君が登場してしまう。今度はこちらも持ち込みということにするか。しかし、持ち込みお断りの場合もあろうし、内部でボツということにもなりかねない。N原先生も、お気に入りの写真をいつも載せていた。半身に構え、微笑んだ写真である。まるでモナリザの微笑みと同じ角度、微笑み度である。そこには人類最大のミステリーがあるのかもしれない。ダヴィンチ・コードか。

 キャンパスの混雑ぶりは相変わらずである。再度気になったのは、授業が終わると、どんどん駅に向かって帰っていくという現象が見受けられることである。大学生活をちゃんとしているのかが心配である。こういう学生は、早慶戦には決して行かないだろう。いずれ、早慶戦(慶應側からは、慶早戦)に行くことを単位化する時代もそう遠くはないような気がする。「早慶戦(慶早戦)に行かない学生は、早大生(慶大生)にあらず」という点については、大隈さんも福澤さんも完全犯罪共同説であると思う。確かに、集団競争主義にはネガティブな面が多くあるが、美しい集団競争主義はやはり感動ものであり、皆に実感してもらいたいものだ。ここに、日本の美しさもあるわけだから・・・。

 おそらく、共謀罪は、この日本の美しさに合わないのだろう。日本は日本である、という考え方は、ネガティブな面とポジティブな面とがあり、世界にモデルを示すというポジティブな面をもっと示すべきだと思う。日本は変わった国であるというのは、外国が正常だという基準であるが、日本が正常かもしれないのであり、この点は、構造主義によってあたり前田になったはずなのだが・・・。

 そんな呑気なことを言っている暇はない、と危険社会を煽るマスコミ、評論家が目に付くのである。じゃあどうすればいいというのか。おそらく、徹底的な敵味方社会にしようとしているのだろう。そして、自分たちは多数の味方の方に所属すると思っていることは間違いない。これは美しくない考えである。

 美しい考え、理論を展開しようではないか。それは理想を語ることである。みなが理想を語ることをしなくなったことが問題である。べたべた現実主義は、日本の悪しき集団競争主義と密接に関連する。醜い日本を排除し、美しい日本を再生する必要があろう。せめて学生諸君には、理想を大いに語って欲しいのだが、ほとんど刹那的な享楽と単位獲得にしか関心がないとしたら、それこそ、まったく美しくないだろう。

ジャーニー to 美しすぎて〜ぼくがコ〜ワイ〜



 


norio

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