刑法奇行
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2006年06月05日(月) 刑法学会と運動会

 刑法学会プラス京都観光とセットメニューで充実した3泊4日であったが、その後の日常に戻るのがまた大変であった。日常的リズムの回復である。刑罰の目的とほぼ同じである。回復も結構だが、予防も大事であると思うのだが、あれもこれもでは駄目らしい。「あれかこれか」とキルケゴールなのだろう。個別報告もそれぞれ興味深いものであったし、ワークの違法性の意識もいろいろ勉強になった。なるほどと思うこと、ちょっと違うのではと思うこと、これが学会の意味であるかもしれない。参加者が多数であったこともよかったのだが、多すぎて久しぶりの人と話す機会を逸したのである。N原先生によれば、普段話す人と話さないというのが、学会の鉄則なのである。

 そうはいっても、結局、いつものメンバーと大原三千院と嵐山を観光し、京都を満悦したのである。やはり、京都は学問をするに相応しい場所かもしれない。しかし、静かだと落ち着かないのが性分である。また、自然よりも人工が好きなことも悪い性癖である。自然の涼しい風より、エアコンの人工冷気が何となく好きなのである。まあ、生来的何とかであるからしょうがない。

 先週の土曜日は、娘の小学校最後の運動会で朝からビデオ撮りである。何と白組の応援団長である。1年の時シクシク泣いていたのが、まるで嘘のようである。感無量である。子供の成長と比べて、こちらの非成長ぶりはいったい何なのだろう。成長は、ゆっくりゆっくりでいいのだろう。決して急いではいけない。もっとも、持って生まれた生来的なものは確実にあると思う。長男の方は、小さい頃から爆発しており、授業参観日には、先生が質問すると、ハイハイハイと先生に掴みかかるように手を挙げ、指されて立ち上がった瞬間、「忘れました」ときたのである。

 まあ、運動会で癒されたわけであるが、子供にかかわる不可解な事件も相変わらず起きている。長閑な地方には暖かいコミュニティがあるのではと思うのだが、そうではないらしい。コミュニティは場所ではなく、人と人との間にあることを忘れてはならないだろう。金八先生バリに、「人間とは、人の間と書く」と言いたいのである。これは大事なことである。「忘れました」ではすまされないだろう。

ジャーニー to 来年はI藤君のいる名城大学 


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