刑法奇行
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アッという間に、前回の奇行から1か月経過し、連休も終わってしまった。授業と原稿に追われ、前者から逃げるわけにもいかないから、後者から適当に逃げて逃げて、そして間に合わせるという「厳粛な?綱渡り」を行う日々である。
新8号館の研究室も何とか軌道に乗ってきた。結構気に入っている。外の風景が関係ないだけに、内向的にならざるをえないことは素晴らしい。休みの日は、えぞ菊の向かい側のオリンピックで買った前かご付きマウンテンに乗って研究室に向かう。風がさわやかである。そういえば、「風」というグループ名は見事だし、本当にセンスのいい歌をつくったと思う。伊勢正三である。「あいつ」とか、「君と歩いた青春」とか、もちろん、「22才の別れ」とかである。「あの唄はもう唄わないのですか」というのもあったが、こちらは、今でも歌っているから、その質問には、Dochと答えることにはなるが・・・。
先日、佐々木先生の3回忌で、奥様ともどもお墓参りと中華街で食事をした。K崎弁護士、U金弁護士、S藤弁護士、N倉教授、S井教授、STの会会長、U野教授、そしてM藤君というメンバーである。N原研究室における癒しの世界である。一気に昔の状態になるから面白い。みんな青春を引きずっている。面白い大人達である。こういう大人がいなくなったことが今最も憂うべき問題かもしれない。今の学生よりも青臭い議論をする。これは驚愕すべきことだと思う。大事にしていかなければならないことだと思う。
中野先生、鈴木先生、そして、佐々木先生のような実務家の先生は今後二度と現れないだろう。これは断言できる。おそらく、この先生達は、時代的な状況もあるが、つねに何か新しいものを欲していたのだと思う。だから世界が広いのである。だからわれわれの奇をてらったドイツ従属的な考え方にも大いなる関心を示されたのである。一つの世界を絶対視しないところが共通しているのであろう。違った角度からものを見てみようという態度が共通しているのだろう。
自分の思考が何かに囚われていないかを吟味することが大事である。もっとも、囚われないでいようということに囚われるという悪循環は避けられないものの、単に囚われていることよりもマシかもしれない。今の学生にはこだわりが無さすぎると嘆く先生もいるが、単にこだわっただけでは、ステレオタイプの単純型人間しかできないだろう。まずは、何故こだわっていないのかを自問自答する方法論の確立が必要かもしれない。
若者や少年の問題は、すべて大人の問題であると思う。大人がつまらないから、若者もつまらなくなり、大人が悪いから、若者も悪くなるのである。まさに、若者は、大人に、極端従属性なのである。
「若者よ、もっと青臭くなれ」というのは、実は、「大人よ、もっと青臭くなれ」ということなのである。きっと、毎日欠かさず、青汁を飲むといいのだろう・・・。
ジャスティス for 青春の分かれ道
norio
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