刑法奇行
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2005年03月13日(日) |
法科大学院出デテ研究亡ブ |
3月で御定年されるY倉先生が「戸籍時報」で随筆の連載を開始された。「法科大学院雑記帳その1」である。表題の危険性を心配され、打開策を提示されている。まったく賛成である。みんな薄々感じていることをズバリ言って下さり、まったくスッキリする。もっとも、これは法科大学院固有の問題ではなく、法学部はもちろん日本の大学全般に妥当するであろう。
研究するには、ぼう大な時間、まとまった時間が必要であることは、あたり前田の何とかであり、この時間がないのである。ドイツの学者と比較すると絶望的になる。
そういえば、大学院時代がいちばん時間があった。毎日、ドイツ語文献を読んでいた日々・・・されどわれらが日々か。
Y倉先生によれば、研究とは、「学問上、大なり小なりに意味のある知的生産物、業績(論文や資料)であって、印刷物という形をとって公にされたもの」をいう。それ以外の生産物は「知的くず」(ラッセル)なのである。自戒しなければならない・・・。
とにかく、研究のためには、「引きこもる」ことが必要である。いわば「仙人」にならなければならないのである。そう、まるでS仙人のように・・・。仙人度が高いかどうかが、重要であろう。誰か、仙人度のチェックリストを作って欲しいと思う。もっとも、彼は、生産物を出さないから、仙人状態にとどまり、「閉ざされた仙人」であり、「開かれた仙人」にならなければいけない。だから、彼は、いまだに仙人講師である。
いちばんコワイのは、研究以外の仕事に時間をとられていると、それに充実感を抱いてしまうことである。仙人度が重要であることを忘れてはならないだろう。
新研究室は、仙人になるには格好の場所であり、これを機会に仙人の道を歩めるかと思うが、おそらくそうはいかないだろう。かみさんに言わせれば、私は「人寄せパンダ」であるそうだ。パンダ度のチェックリストも欲しいのである。
ジャスティス for 仙人のパンダを探せ
norio
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