刑法奇行
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9月の北京ダック奇行で連載したからまあいいかと油断していたら、とうとう11月になってしまった。「しまった。しまった。島倉千代子」である。中国から帰国した翌日にローの面接があり、授業がはじまり、研究会や会議、犯社学会などなど、川の流れに身を任せて、時の過ぎゆくままに今日に至るという、ただそれだけである。
しかし、悲しい出来事はあった。10月15日に長島敦先生がお亡くなりになったのである。いろいろお世話になった先生である。豪徳寺にあった最高裁の官舎にもお邪魔したことがある。拙稿や拙著に対して、いつもあたたかい励ましのお返事を下さる。とくに、修復的司法については多大なご関心をお持ちだった。検察ご出身の先生にしてみれば、分かるような気がする。検察や警察主導のRJについては、反対論者も数多いが、私は、様々な方向からRJを展開させていくことが、現時点では重要だと考えている。つねに、チマチマしないことが大事である。
例によって、成文堂の手帳を見ながら、振り返ってみると、土曜日がことごとく、研究会やその他の会議で埋まっていることに、今更ながら驚くのである。来年は、前期だけではあるが、土曜日の1限目にローの授業が入るというのだから、動揺(土曜)は隠せないのである。まあ、土曜の午後は、もともと埋まっているのだから、朝から出かけるにすぎないと考えれば大したことはないかもしれない。気の持ち様である。
「気の持ち様」で解決する問題は数多い。客観的な幸福などないのである。なぜなら、青春真っ只中の諸君はおそらく分からないと思うが、すべて最後は落武者になるからである。だからといって、ニヒリズムではない。やはり、岩が必ず落下することが分かっていても、岩を頂上に押し上げるのである。シジフォスばっかり、という声が聞こえる。
研究者の中にも、まるで宿題をするように義務的に、あるいは権力を志向するように目的的に研究しているような人が結構いる。しかし、研究それ自体の喜び、「なるほどね」「そうだったのか」と日々の主観的帰属こそ研究の生き甲斐なのである。これに対して、資格試験は日々苦しみで、合格後のバラ色を目指しているのだと言うかもしれないが、それは違うだろう。嫌いな科目もやらなくてはならないなどの「嫌気」はあるかもしれないが、誰だって、それはあるし、苦しんでいるようで、実は、日々楽しんでいることを自覚しないだけである。自己の主観を大事にしませう。
最近楽しみにしていることは、毎週月曜日の深夜TBS「月曜組曲―風のように歌が流れていた―」という番組である。小田和正である。50半ばである。オフコース時代より声が伸びている。こちらも負けられないのである。前回のゲストは、「ムッシュかまやつ」であった。65歳である。「どうにかなるさ」でいきましょう。
ジャーニー to Off Course and Spiders
norio
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