刑法奇行
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2004年09月21日(火) |
北京ダック奇行その3 |
驚嘆すべきは、M下先生、N原先生、M尾先生という70歳後半の先生方が参加されていることである。M下先生など80歳であり、CNNニュースに開会式の模様が映されたが、M下先生のお顔がはっきり映し出されていた。翌朝、このことをお伝えすると、たいそう喜ばれて、これだけでも北京に来たかいがあったと言われていた。御三人の先生方としばしばテーブルを共にして食事をしたが、それぞれの個性がぶつかり合い、とても興味深かった。
結局、Sieberさんは、夜に開催されるコンピュータ犯罪・サイバー犯罪のラウンドテーブルでの主報告のために、その日の午後に到着した。英語の堪能なI井さんが、すでにCOEシンポについて話して下さり、私は、ラウンドテーブルの後、話を詰めた。一応の賛同を得たが、詳細は追々ということである。まあ、M藤君がMPIにいるので心強いかぎりである。とにかく、早稲田とMPIのつながりを維持して行かねばならない。
今回の北京は、M田君がいたのでいろいろ助かった。1人だったらタクシーに乗る気もしないし、天安門周辺巡りもできなかっただろう。それにしても、天安門広場は広い。ここで、演説し、皆がひれ伏したら何と気持ちいいことだろうと思うが、それが権力志向への階段である。人間の邪悪さを考慮して、環境を整える必要性を感じたのだが・・・。 Sieberさんの報告の際、アテネの出版社から公刊された報告論文集が配布され、数に限りがあるので人が殺到した。M田君は、1冊手に入れた後、それを背後に隠して、別の配布者からもう1冊を奪取したのである。その生き様は中国的かもしれない。 また、帰りの北京空港で排骨面を食べたが、味は異様であった。高校の時から食べている万世麺店のパーコー麺を、帰国後、絶対に食べるのだと固く決意したのである。ところが、支払の際、元で払おうとしたが、もはやなくなっており、私がM田君に大体の総額を円で渡し、M田君がカードを差し出した。店員の女の子は、カードを持っていったが、しばらくして、カードはノーというのである。少々焦ったが、M田君がドルでは?と聞いたら、OK牧場であったので助かった。その生き様は、中国的かもしれない。
ともかく、海外では予期し得ないことが少なからずあり、そこが面白いのかもしれないが、かなり疲れるし、大変な危機的状況になることもある。生きて帰国するということが使命のように思われることがある。そういえば、昔は、海外旅行といえば、親戚全員が(当時は)羽田に集まり、見送っていた。あれは、もう二度と会えないかもしれないという危惧感からだったのだろう。
もっとも、日本にいれば安全だというわけではないが・・・。安全神話は崩壊したかどうか、河合幹雄さんの著書(礼状を出していないが、この場を借りて御礼申し上げる。彼は見ていないだろうから意味ないが)から学ぶことにしよう。
ジャーニー to Sicherheit
norio
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