刑法奇行
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2004年09月20日(月) |
北京ダック奇行その2 |
部会は、「少年の責任」にまず出たが、壇上の報告者はフランス語なのである。学部時代はさんざんフラ語を勉強し、院生時代にS登先生や髭倉さんらと翻訳書も出したこともあったが、今や忘却の彼方であり、同時通訳の英語を聞いたが、中国人の通訳がフランス語から英語に直すわけだから、これもよく分からない。内容も、フランス語圏で通用している用語をそのまんま東で英語に直しているからどうもピンとこない。午前中、M尾先生、金さん、S岡さん、M田君と出ていたが、次から皆、収賄の方に変えたのであった。
収賄の方は、Weigendの司会で、Doellingの報告など、ドイツ色が強く、安心感がある。何とT山さんが書記担当である。彼女は、ドイツ語、英語を自由に駆使する、まさに、インターナショナル・ガールズの1人だろう。
夜は盛大なレセプションであった。事前に番号札を渡され、これが、格付けなのである。私は32番であったが、N原先生は1番であり、1番の席は椅子の大きさも色も違うのである。周りは各国の大臣であった。やはり、N原先生の中国における優越的地位を目の当たりにした。私の周りは、中国人民大学の教授や院生、ベルギーのゲント大学の教授(この人はベルギー人だけに英独仏は自由に話せる)であった。
しかし、イベントには閉口した。いろいろな歌手が出てくる。声がでかい。手品まで出てきた。急に、テュービンゲンで行われたRJ会議におけるレセプションでのモーツアルト生演奏を懐かしく思い出した・・・。
そう言えば、北京監獄(この文字が使われている)見学の際も、まずは講堂に集められ、受刑者の楽器演奏と歌が披露された。映画「ゴースト」の主題歌「アンチェインド・メロディー」である。思わず聞き惚れたが、M下先生は「人をバカにしている」と憤慨されていた。その後、居房と工場を見たが、まるで、生活感がないのである。まあ、そういうことなのでしょうか・・・。
万里の長城は素晴らしかった。坂がこれほど急だとは予想しなかった。 久しぶりに山登りをしてしまった。これが中国だという感じである。皆「大地の子」と独り言を言ってしまうのだろう。
しかし、4日過ぎても、まだ、Sieberさんが来ないのである。食事も飽きてきた。夕食に、寿司類似が出てきたが、何と「鳴門」がのっかっているものがあった。何とか「成ると」は、思えないのであった・・・。
ジャーニー to 中トロ
norio
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