刑法奇行
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G代K事法7月号の編集後記に、I藤さんがこの奇行を取り上げて下さった。何と著作集とは「びっくりしたなあーもー」である。心待ちにされているとは嬉しいことである。誰かが待っていること、これは素晴らしい。誰も自分を待っていない、誰も自分を必要としていないという状態では、人は生きていけないだろう。どこかで誰かが、風の中で待っているのである。M藤君の18番の紋次郎だって、そう期待して、用事(楊枝)をくわえていたのだ。 もっとも、心待ちにされる対象が原稿となると、若いという字に似ている苦しいことである(悲しみは駆け足でやってくる・・・この歌手は誰か忘れた)。「絶えざる原稿との戦い」、やはり元寇は台風でも来ないと駄目か・・・。まさに、「わが闘争」であり、一体いつ終わるのか。 庄司薫が芥川賞受賞の際、「逃げ出したい」と言い、問題解決の手段として「逃げて逃げて逃げまくる方法」を提示した。これはするどい。逃げ切れれば、その問題は大した問題じゃなかったことが事後的に分かるからだ。しかし、問題は、逃げ切った後、どうなるのか。「誰もいない海」じゃ困る。するとまた、何らかのしがらみが出てくる。新しいつながりである。これはもっとしんどいかもしれない。今までの闘争の方が心地よく、逃走から逆戻りして、闘争の世界に行く。フロムじゃないけど、「自由からの逃走」か・・・。 ほのぼのとした集まりが「同窓会」なら、闘争しているわれわれの集まりを「闘争会」と呼ぶことにしよう。
ジャーニー to 提灯行列
norio
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