刑法奇行
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2002年05月01日(水) ナバホへの旅

 河合隼雄さんが「論座」の連載を1書にした。『ナバホへの旅 たましいの風景』である。ナバホはお菓子のホームラン王ではない(あれは、ナボナである)。アメリカ先住民が住んでいる場所である。ナバホ・ジャスティスという修復的司法を実践しているところでもある。本書は、人と人、人と自然との「つながり」に焦点がある。「関係喪失」と「関係回復」という用語が最初から登場する。修復的司法は、まさに、関係喪失から関係回復へのパラ転と言えるかもしれない。ピュアリストであるN村先生の主張である。

 たしかに、現代は関係喪失の時代であろう。電車の中の携帯メールを見れば分かる。携帯の相手とは関係があるようにみえるが、離れていることがすでに関係喪失であるし、となりの人との関係を一切遮断しているところに深刻な問題がある。「袖振り合うも多生の縁」は何処へ行ったのか。袖振り合うと殴られる時代である。うちのおばあちゃんは、電車やデパートで見知らぬ人に話しかけるくせがある(これもやっかいだが)。昔は、といってもつい最近までそういう雰囲気だったのに・・・。小学校から電車通学で、電車の中で気持ちが悪くなった時、必ず誰かが「坊や大丈夫?」と言ってくれたし、カバンの名札を見て、「たかはしくん」とほろ酔い気分のおじさんが言ったり、のどかだったなー。自分も含め、みんな急いでいる。それでは、何に向かってか?。
 
 身近なところから、少しずつ変えていかなくてはと思う。「たましい」を問題にすることがなくなったからかもしれない。近代の弊害はかなり深刻である。刑政S先生の想う「早稲田精神の再生」は、おそらく、「たましい」を基本に据えて生きる人間の再生かもしれない。矛盾に満ちた人間が、矛盾のないように生きようとすることから無理がくる。もちろん、科学は矛盾があってはならない。しかし、月にロケットを飛ばすことと月ではウサギが餅をついていることとの両方を大事にしていかなくてはならないのである。後者によって救われる人々が大勢いることを忘れてはならないだろう。

 そうなると、ナバホはポストモダンのホームラン王かもしれない。

ジャーニー to 安心ジャイアンツ


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