hazy-mind

2005年11月06日(日) 『秋のトルソ』 短編



   ちぎれた腕は
   ちぎれたままに
   その一瞬の思いを
   誰にかけるのですか


                    村野四郎 『秋のトルソ』より



 もう冬かな

そうリツはつぶやいた。
まだ秋のはずなのに今日はとても寒い。
ぼくとリツはまるで冬のような格好をしている。

この前突然リツが、トルソを見たい、と言いだしたので、美術館に行くことになったのだ。


 リツ、なんでトルソなの?

 シロウ・・・

 え?

 ムラノ

 ムラノ?あぁ詩人の村野四郎か・・・

この間はサクタロウで今度はシロウか。
いったいどこから詩集を手に入れてくるのだろう。
村野四郎とトルソの関係はぼくにはわからない。
きっと彼の詩の中にトルソが出てくるのだとおもうが・・・
ぼくはそもそもトルソ(実際にはトルソーと呼ばれている)を生で見たことがない。
と言うかリツには言ってないがトルソというものがなにかすら知らなかった。
辞書を引いてみて初めて知ったのだ。


美術館への道の途中。
工事現場があった。
工事現場の前には大小の小石が散らばっていた。

するとリツは、その中の一つを蹴って歩き始めた。
ぼくは(小学生みたいなことをするな)と思いながらもリツのまねをして
小石を蹴って歩き始めた。
これがなかなか面白い。
小石がくるくると回転して、水平な放物線を描いていく。


 ねぇ、リツ

 なに?

 なんか、懐かしい感じがするね

 そう?私ははじめて蹴ったよ、小石


ぼくは驚いた。
20年間強(ぼくは勝手にリツはぼくと同い年だと思っている)
一度も小石を蹴ったことのない人が、なぜ今小石を蹴ったのだろう。


 リツ、なんで蹴ったの?小石

 別に、なんとなくだよ

そう言いながらリツとぼくは小石を蹴り続けていく。
二人とも小石ばかり見ているから、お互いの顔を見ようともしない。

ぼくのほうの石はすぐに見失ってしまったけど、
リツは鈍く光る革靴にぶつかるまで石を蹴り続けた。

 あ、すみません

なぜかわからないけれど反射的に謝ってしまうぼく。
それから革靴から目線をあげていくと、
老人。
が立っていた。

その老人には右腕がなかった。
服でよくわからないけれど、肩の辺りから、なかった。

老人は別に石のことは気にしていないよというような目配せをぼくとリツにし、
数秒こちらを向いていたが、やがてきびすを返した。
そのとき軽い会釈をしてきたのでぼくも会釈をしたけれど、
リツはまったく動かなかった。


 ちぎれた腕はちぎれたままにその一瞬の思いを誰にかけるのですか

老人が数歩歩いたあたりで、それまで固まっていたリツが声を発した。
あまり聴いたことのない、あせりや不安のまざった音だった。
老人は突然のリツの問いに少し驚いたような様子を見せた。
ぼくもまさかリツが老人に話しかけるとは思っていなかったから驚いた。
立ち止まり、リツのほうを向いた老人はリツの問いを聞き返すことはせずに、
数分、
だまっていた。

リツはまっすぐ老人の目を見ていた。
ぼくはそんなリツの目を見ていた。
大人びている外見には似合わない子どものような目を眺めていた。

やがて老人がゆっくりと答えた。

老人は右腕を失ったときのことをリツに話した。
十文字以内にまとめると。
『恋人を守った』
そんな話だった。


 だから、この腕(右腕)は妻に・・・ということになると思う

そういって老人はすこし笑った。
リツはすこしうつむいて、何もしゃべらなかった。
だからぼくも何も言わなかった。
リツが何を考えて何をこの老人に聞きたいのか、そのことを思っていた。


 でも実は、妻には数年前に先立たれてしまってね

老人の言葉にリツもぼくも顔を上げた。

一呼吸。

二呼吸おいて、老人は語りだした。


 あの時この腕を失ったときの一瞬のおもい
 それはやはり恋人、まぁのちに妻になったのだけど
 彼女にかけ続けてきたのだと思う、ずっと
 義手をつくらなかったのは、私の要望ではないよ
 彼女が必要ないと、言ったんだ
 私は不便だから義手が欲しいと何度も言ったけれど
 そのたびに彼女が・・・あぁ、今日は寒いね

冷たい風が吹いて、老人の話を止めてしまった。
けれどリツとぼくは老人が話を再開するまでじっと待っていた。

 
 彼女がいなくなってから、何年になるのだろう
 私は結局まだ義手をつくっていない
 だから、やはりお嬢さんの問いの答えは
 妻であり恋人でもある彼女なんだと思うよ

老人の話が終わると、リツは少し老人に近づいた。
ぼくは動かなかった。


 握手を

老人の前に右手を差し出しながらリツが言った。
 

 握手をしてもらってもいいですか

老人は特に何も言わずに、右肩をすこしだけ動かした。
ぼくには見えないけれど、二人は握手をしているらしい。
その体勢のままリツが老人に何かをささやいた。
老人は落ち着いた様子でささやきかえした。
二人の声は小さすぎてぼくには聴こえなかった。


老人と別れたぼくらは、再び美術館への道を歩き始めたが、
リツはすぐに立ち止まると、こう言った。


 トルソは、もういいや

ぼくが同意すると、タバコがすいたいとリツは言った。
 

 アパートにまだ残っているよリツのタバコ

 うん
 
うん、と言うのと同時にリツがぼくの腕にしがみついてきた。
ぼくは驚いて思わず腕を引いたけどリツの力はとても強く、腕から離れなかった。


とても、
とても冷たい風が吹き付けてくるまで、
リツはそうしていたが、いったん離れるといつものリツに戻っていて

 もう冬かな

そう、ちっとも寒そうな顔をせずに、そう言った。


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