あきれるほど遠くに
心なんか言葉にならなくていい。

2002年05月25日(土) 吸気



なんだか今日は色々あって、神経が興奮していて眠れそうにない。
木刀ではなく真剣をもって渡り合うような、
瞳を逸らさないでいるような、
心が湧き立つような、このささやかな悦びは一体何だろう。



前にも書いたけど、最近、僕は詩が書けずにいる。
これが良いことなのか悪いことなのか分からない。
とりあえず、少し、居心地が悪いのは確か。

自分がどこにいればいいのかわからない、という感触を、僕は時々感じる。
ただの邪魔者であるか、ただの空白であるか、それとも人に見えぬ真空であるのかは知らない。
けれど、
例えば踏み出そうとするその足の置き場に、
僕は戸惑う。
二の足、三の足を踏んで。

僕はここに在りたくない、と。確かに僕は思う。

だから僕は、時折シンパシーに満ちた目で見つめられてしまうのかもしれない。
いや、あれはシンパシーではなく、ただの哀れみかもしれない。
ただ僕が受け容れようとしないだけで。

ことばを、詩のかたちにするとき、
僕の中に咲いているイメージはとても儚い。
それは翌朝まで生き続けはしない。
それが水から上げた魚のように頼りない呼吸を繰り返しているうちに、
僕はそれをかたちにしなければならない。
それはある意味で、とても残酷な作業だ。
たとえそのイメージの花の蜜が血の色をしていなくとも、
それに音は具えられていなくても、
僕は何処かでそれを殺し、何処かでそれを砕いている。
ことばの枠に収まるように、はみ出た指を切り落とし、やわらかな髪を削ぐ。
それは、
抱きしめる手にわずかに恋人の骨と灰が残るように切ない。

それでも詩がなければ、僕は息をできない魚のようにしか泳げないだろうし、
飛べない鳥のようにしか鳴かないだろう。
僕は詩を書くことで生き延びている。


それでも、


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周防 真 [MAIL] [HOMEPAGE]

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