あきれるほど遠くに
心なんか言葉にならなくていい。

2002年04月15日(月) ウタになれないコトバ

元ちとせ、を、買ってきた。
何だか初めて聞いた時は、あんまり良いと思わなかったんだけど。
でもある朝、目が覚めるとあのメロディーが頭の中を回ってて。
その時は歌の題名も歌手の名前も知らなかったのに、驚いた。素直にびっくり。
で、その翌朝ぐらいにテレビで特集をやってたので彼女を知ったので、今日に至る。
うんうん。こんなこともあるのか。

でもねー、やっぱりCDって本に較べると僕にとっちゃ価値が落ちるんだな。
だから大学で買う。大学生協ならCD1枚15%off。大きいよなぁ。
まぁ、本も値の張るやつは大学で買うんだけど。
今日は京都は24℃あったらしい。何だかもぅ、驚くのにも疲れた感じ。
大学の周りはツツジが咲いてるし。今日は健康診断でした。

さて。昨日の続き。
真面目なこと書くのは疲れるんだけどな。
えぇと、読む側が気を入れて読まなきゃならないような詩は、果たして良い詩か否か。
うー、問題提起のしかたが悪いな。
逆だ。
良い詩ってモノは、身構えて読ませるようなモノだろうか?ってことを言いたかったんだけど。
うーん、コレはけっこう難しい問なんじゃないかなぁ。
ちょっとそこらへんの詩人さんをつかまえて聞いてみたい。
例えばね、ミルトンの「失楽園」。
僕はあれ、読んだことありません。えぇ一度も。
手に取ろうかとしたことはある。どうやら友人は読んでみたらしい。
岩波文庫で上下2巻モノ。英国叙事文学最高峰の傑作…らしい。
でも僕は読もうとは思いません。いずれヒマになったら別かもしれんけど。
だって2冊も続いてる長い長い詩を、何が面白くて読まにゃならんのか。
そんなヒマと情熱があったら自分で書くっちゅーねん。
あの名前の売れてるミルトンでさえ、詩人の僕にとっても、こんなものだったりする。

うん、これはたぶん、何て言うのか、不純な考え方だと思う。
詩そのものの価値を見ているわけじゃないな、と思う。
でもねぇ、僕はねぇ、ずっと前から、自分の詩を読んでもらうとしたら、できるなら
そこらへんの、フツーの人に感動してもらいたい。
たぶんそれがいちばん難しいけど。
そんな詩が書きたい。
そしてそんな詩が、いちばん良いと思う。
うん。違うのかなぁ。

だから、とりあえず僕は、独断と偏見で読みにくい詩が嫌いなのだ。
読みづらい詩は玄人好みなのかもしれないけどさ。
ってことで今日は疲れてるのでこの辺で終わっとこう。

↓昔書いた詩の断片。





 夢というものこそが 最も痕跡を残さない
 それを 知らないわけではない
 ただどこまで
 僕がこの夢を抱けるのか
 どこまで
 この夢を忘れずにいられるのか

 ただあなたの声さえ聞こえれば
 どこへでも行けるような気がしていた

 そしてどこかへ
 行こう ひとりで
 あなたの目に映るすべての うつくしいものを
 僕の心が守れるように
 背を向けたすべての世界を 振り返らぬように

 この眼に映るすべてのものが光を失っても
 それを悔やむことのないように




 < 過去  INDEX  未来 >


周防 真 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加