あきれるほど遠くに
心なんか言葉にならなくていい。

2002年04月14日(日) シナプスに書きゃぁよかった。

あぁ、良い天気だ。
京都は晴れ晴れ。
僕は本当は大阪(枚方)生まれで、京都は3歳から住み始めただけなんだけど、
皆さん勝手に「京都人」と誤解(?)してくれるのであんまり文句は言わない。
うん、でも京都はええとこですえ。
おこしやす京都。
夏は最悪やけど、禅寺で座禅でもさせてもらうと修行になるし(笑)
寺とかはあんまり行かないが、広隆寺の弥勒菩薩はセクシーで一番好きさ。
昔、友達のお父さんの友人がキスしようとして抱きついて指を折ったらしい。
国宝第一号なのに(怒)。

さてさて。
ちょっと昨日書いたことがあまりにあっさりしすぎなようなので、見直し。
・・・某サイトのシナプスに書けばよかった、と今さら思ったりしつつ。

>  アサガオは咲かないまま逝ってしまった

だけど、はたしてコレでいいのか?
さて考えよう。
感性の問題、と言ってしまえばそれまでのこと、なんだけど。
うーん。まずは区切ってみる。

>  アザガオは
>  咲かないまま
>  逝ってしまった

↑まずは1、ベタな例。どこに重点があるのかはっきりしないね。
アサガオを重点にしたいんだったら2,3行目はくっつけるべきかな。
ベタな例でもアレンジはいくらでもできる。
ただ、このままだと読みきりが悪い。日本語ってのは大昔から、五・七・五でできてる。
だから直す。

>  アサガオは
>  咲かぬまま
>  逝ってしまった

まぁ、いくら語感が悪いって言ったって、口語で書きつづけてるのにいきなり
「ぬ」とか使うのはオススメしない。読んだ人にざらっとした後味を残すから。
(しかもこの例だとテンポが悪い。)
・・・このへんまでを一発でできてしまうのが才能ってヤツ。

>  アサガオ
>  は咲かないまま逝ってしまった

↑これは2、上級編。
こういう、文の流れを崩すやり方は危険を伴う。
詩の全体を通じてこの手法を使い続けるならそれもまた良し。(←でも濫用はできない)
一箇所だけ使うってのも、ポイントが置いてあるなら強調になる。
危ないのはごちゃ混ぜにすること。読む人が混乱する。

顧みて考える。
読む側が気を入れて読まなきゃいけないような詩は、良い詩だと言えるんだろうか?


 < 過去  INDEX  未来 >


周防 真 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加