2003年10月02日(木) |
「社会の枠」には入らない。狂っているといわれても。 |
現代医学で精神病と認定されるすべての人は この社会の枠組みから外れているだけであって 病気なんかじゃない。
社会の枠に入る必要なんてない。
昨日書いた言葉が、人を悲しませてしまった。
「社会の枠」
それは、現代物質文明がかたちづくった、歪みきった枠のこと。 愛も尊厳もない、消費と浪費と磨耗の社会。
私は、狂っているといわれてもいい。 この腐りきった「社会の枠」になんて入りたくない。 そういうことを、ルナティックライフで書いているつもりだ。
バリアフリーという言葉がある。 ユニバーサルデザインという言葉がある。 人にやさしい社会は、地球にもすべての生命にもやさしい。 私が想う理想的な社会は、地球まるごとのユニバーサルデザイン化。
でも、地球はもともとそうだった。 大地とともに暮らすネイティブピープルもそう。 現代の物質文明に生きる人間だけが、そうではない社会に生きている。
子供が子供らしく生きることのできる社会が欲しい 人がありのままに暮らせる社会が欲しい。
バリアフリーだとか、ユニバーサルデザインとか、 平和とか、愛とか、やさしさとか、安らぎだとか、癒しだとか そんな言葉がいらないくらいの、あたりまえの社会がほしい。
「病気なんかじゃない」 この言葉が刺さったのかもしれないね。
精神病患者は、傷ついている部分が外見からは見えにくい分だけ 外からいろんなことを言われてしまう。 私が昨日言ったのと同じような言葉を、 まったく違う意味合いで、明確に相手を傷つける意志をもって言う人もいる。 私が書いた言葉が人を傷つけたとすれば、その意志はなくてもおなじ意味を持つ。
ごめんなさい。
こころの病を抱える人は、自分のこころと向かい合うことにエネルギーを傾けてほしい。 人がどう言おうが、親がどう言おうが、社会がどう言おうが関係ない。 人のことにエネルギーを使わないで。 もうそれ以上、傷つかないで。 いまのあなたは、そのままのあなたで素晴らしいのだってことを知ってほしい。 (特定の誰かではなく、すべての人に向けた言葉です。) 今の自分を認めたその上で、よりよくなることを望むのは、それもまた美しい。
私が言いたいのは、そういうことだった。
自分が虐待されて育ったので、 虐待を受けて今も苦しんでいる人のことをみるとどうも感情で走ってしまう。
ほんとうは、昨日の日記には前段階がある。 白い自分も黒い自分もすべて セキララにさらけだすと決めた私なので公開する。
長いので、別のページにアップします。 10月1日 その2
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