こころの大地に種をまこう 春名尚子の言霊日記

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2002年07月16日(火)  森になりたい。



 朝の散歩を昨日から復活した。
 まあ復活といっても、その前に散歩をしていたのは、たったの一週間だけど。

 朝早く起きて歩くということは、私にはとてもあっているみたいだ。
 意識を内側に向けながら、そして自然を眺めながら歩くということは、それ自体が瞑想になりうる。

 さまざまなインスピレーションや、忘れていた感覚が蘇ってきた。
 散歩をしていた一週間は、食べ物にもとても気を使い、身体に悪いモノを一切取り入れていなかったので、こころも身体も冴えていた。

 その恍惚感にも似た幸福感を忘れられずに、また朝夕の散歩をはじめた。

 今朝は3時半に目がさめて、仕事をしたり、本を読んだ。
 4時30分頃、だいぶ明るくなってきたので、出かける準備をした。

 風が気持ちいい。

 大きな橋のたもとにつく。国道沿いの道を歩いているとき、いつも思う。

 この排気ガスをきれいにしてくれているのは、木々なんだなあ、と。
 淀川の茶色く汚れた水を見ながら思う。
 どうすれば、これほどまでに汚すことが出来るんだろうか、と。

 別のところにも書いたけれど、沖縄で生まれ育った私の息子・天流川は、
 汚れた川を見る度に、悲しそうな顔をする。
 沖縄のきれいな海を想い出して、ため息をつく。

「どうしてこんなに汚しちゃったんだろう。
 どうしたら、淀川の水をきれいにすることが出来るんだろう・・・、」

 どぶ川を見て心を痛める王子さまは、そうつぶやく。

 「淀川は汚いね、日本の海は汚いね。」
 そのセリフをはきながら、この水を汚したのは自分じゃないと思い、
 こんな風にしたのは誰なんだと怒っている自分がいる。
 私も、加害者のくせに。地球を汚している人間のひとりだというのに。
 この汚れきった水を、美しい水に戻すことをあきらめている自分がいる。

 彼のつぶやきで、いつも私は引き戻される。

 この水を汚しているのは、私のこころだ。
 きれいにすることをあきらめた私たちが、この水をここまで汚したんだ。

 ほんとうにどうすれば、この汚れきった水をきれいに出来るんだろう。
 人のこころの汚濁を取り除くにはどうすればいいのだろうか。

 それでも、朝日を浴びる川面や、夕陽の映える川面は、キラキラと輝いてとても美しい。

 この水がきれいだったのは、どれくらい前のことなんだろう。
 そんなことを想像しようとしても、想像することさえもできない自分がいた。
 私の貧困な想像力では、遥か遠い昔の、この川が自然のままに流れていた姿を思い浮かべることさえ出来なかった。


 森になりたい。
 風に吹かれて、太陽に灼かれ、コンクリートで塗り固められた大地を歩くたびに、そう思う。

 かつては美しかった、その川を見るたびに、森になりたいと、そう想う。

 二酸化炭素を吸い込んで、きれいな酸素を吐き出している木々。
 その根元では、あらゆる生命がいきいきと暮らしている。
 その葉先には、鳥たちが遊び、歌い踊る。

 人として生きながら、木になりたい。
 そんなことを思うのは、生への冒涜だろうか。

 排気ガスやスモッグで汚れた空気を胸一杯に吸い込んで、
 この肺で美しく濾過し、せめてシンプルな二酸化炭素にして吐き出したい。

 この社会が生みだした汚辱にまみれた複雑に入り組んだ感情を飲み込んで、シンプルなものにして世界に還元したい。

 怒りや恨みや苦しみや悲しみを、深く深く肺の奥、こころの奥まで取り込んで、
 次にそれを吐き出すときには、愛や慈しみや優しさとして、この空気の中に送り出したい。


 やさしくてつよい木のような、森のような、

                そんな人間になれればいいのに。



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