2002年05月24日(金) |
つらいことは、つらいっていわなきゃわかんないんだよ。 ?。 |
なんで、その時、言わんかったん・・・・?
母の口からこぼれ出た言葉に、おっとっと・・・と転びそうになった私。
こんな私は28才。6才の子持ち。離婚経験者。
ばーちゃんのソーシキに行ってきた。
92才大往生。最後はみんなに見送られて、幸せそうだった。
んで、私は久々に母に会ってきたよ。はじめて、私の子供の頃の話しをしました。
小学校5年生の時から高校2年になって家を飛び出すまで、ずっと兄から虐待を受けていたこと。 そのことは、私のこころがまっとうに成長する妨げになったこと。 目の前でそれを見ている母親がかばってくれなかったこと。助け出してくれなかったこと。
母は、やっぱり忘れていた。
びっくりしたけど、忘れないと、生きていけないんだろうね。そう思った。
母は、自分がちゃんと私をかばっていたと思い込んでいた。
人間のこころは、とても興味深い。自己を防衛するために、記憶をねじ曲げたり、忘れたりするんだよね。
「でもね、つらかったんだよ。」って、そう言いました。
そしたら、冒頭の言葉が出てきた。唖然とした。
やっぱりいわなきゃわからないのかなあ。イヤなことはいや。つらいことはつらいって。
殴られたり蹴られたり、日々奴隷のように扱われてつらくない人っているんだろうか。
私、マゾだと思ってた?。おかあさん?。
「私ね、自立神経失調症で、一緒に病院行ったでしょ?。原因なにだと思ってた?。」
「・・・・・・。」
「お兄ちゃんのこと以外、ありえないでしょ。過食、拒食、嘔吐、私ずっと苦しんでたでしょ。」
「なんで、その時にちゃんとお兄ちゃんのことを言わなかったの?。
苦しいって言わなかったの?。」
言えなかった。あの頃、兄のこと、誰にも言えなかった。
なんでだろうね。私はどこかで、殴られるのは自分にも原因があるからだと思っていたんだよね。
理由なく人を傷つける人がいるなんて信じられない。
でも、物にあたるように、弱い存在に感情をぶつけていただけなんだけどね。
どこかで、少しは兄や母を信じていたんだろうね。
だって、唯一の家族だもん。
でもね、いわなくてもね、目の前で殴られてるんだから、わかるよね?。
わからないのかな?。 どうなのかね?。
みんな、あの頃狂っていたからね。自分のことで精一杯だったんだね。
確かに、母が私を守れない、助けられないのを知っていたから、
母に頼ることはしなかったんだろう。
でも、どんなに強がってても、笑っていてもね、
私はまだ幼い女の子だったんだよね。
バカだよね。なんでつらいときに笑うんだろう。
そして、そんなひきつった笑顔をなんで信じるんだろう。
私は、子供がはっきりと言葉に出さなくても、サインがわかるように、
ちゃんと子供を見よう。どんなことからも、私の天使を守ろう。
ちゃんと愛して、大事に見守って、おおきなこころで包んであげよう。
私のようなこころの痛みを感じないですむように。
「どうして、私のことは守ってくれなかったの?。」
ほんとはそれを、一番聞きたかったけれど、聞けなかった。
聞けないままに、タイムリミットが来てしまった。そして、私は大阪に帰ってきた。
母の口癖は「すいません」。
誰かになにかをしてもらったとき「ありがとう」のかわりに、
その口から一日に何度も何度も出る言葉。
でもね、「すいません」どころか「ごめんね」の言葉さえ、
私を生んだ人からは、その日一度も聞けなかった。
「つらい思いをさせてしまったね」とか、
たった一言で表現できるその想いを、あの人が抱いてくれさえすれば、
そのことが私に伝わりさえすれば、私のこころは軽くなるはずなのにね。
そんなことを、期待している私が、私の心の中にはまだいるんだ。
火葬場に行くバスの中で、涙が出てきた。忘れていた大切なことを思い出して。
いとこのT姉ちゃんが、一時期近所にすんでいた。
私は家のことはなにも言わなかったけど、看護婦の彼女は気づいていたんだろうね。
あの頃、私をあの家から連れ出してくれた唯一の人だ。
「尚子、遊びにおいで。泊まりにおいで。」
いつもそう言ってくれた。出来る限り、家に帰らなくてすむようにしてくれていた。
小学校5年か6年の時、Tちゃんが映画館に連れていってくれた。
「銀河鉄道の夜」宮沢賢治の描き出した世界。
今にして思えば、あの映画は私に強烈に影響を与えた。
それまで、幸せがなにかなんて考えたこともなかった。
日々をいきることで精一杯だったから。
ちょうど、母の口から衝撃的な言葉を聞いた直後だった。 自分が生まれてきたことすべてを否定されるような出来事があったあとだった。
不必要だったのに生まれてきてしまったことを後悔して、私を産み落とした母を恨んで、それでもだからこそ育ててくれている優しい母の大事な息子から受け続ける暴力に耐えなければならないのだと、思い込みはじめたその頃だった。
あの人がいなかったら、私は狂っていたかも知れない。
だれも私を大切に思ってくれることはないと、人生をあきらめていたかも知れない。
ギリギリのラインで私を引き戻してくれた人。
私は、そんな大事なことすら、忘れたまま大きくなってしまっている。
ごめんね。tちゃん。今回は会えなかったけど、私はあなたに会いたいです。 言葉では言い尽くせないようなお礼の気持ちを、あなたに抱いています。
母との話は、葬儀とか火葬とか法事とか、いろんなことの合間を縫ってだったから、とぎれとぎれだったけれど。
それでも、話しが出来てよかった。
おばあちゃんが、背中を押してくれたような気がした。
私はね、母のことを全然恨んではいないの。
今の私があるのは、やっぱり母のおかげだから。
私は母を、責めているわけではないのです。
自分が捨ててきた感情や、閉じこめている感情を解放して、
子供の頃の私を助けに行くために、私には母の協力が必要なのです。
母というものは、子供にとっては本当に大切な存在。
私も母ですので。自分の子供を愛して、彼が自分の人生を思うがままに生きていけるように手助けをするために、そのためにも私のこころを育てなくちゃならないのです。
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祭り!
人が進化すること。それは、神そのものが進化することだ。
なぜなら、神も人もひとつだからさ。
文明に光の道を指し示す 完全なるユニティとは
結局、天も地も完全ではないんだ。
人間は、なんのためにこの地球に遣わされてきたんだろう。
破壊するためだとは思いたくはない。
この完全ではない天地をつなぐためにきたのだろうか。
今、祭りというテーマで本を書いている。
ので、こんなことを大きな文字に印刷して、私の仕事部屋に張り付けてる。
コレを読みあげてうちの息子が一言。 (漢字もちゃんと読めてるの、ナゼかしらんけど・・・。親に似ず頭がいい。)
おかあさん、いいこと書いてるね。あれさ、あたってるよ。
そうなんだよ。 あるくもさ、そう思ってる。
やっぱり、祭りだよねー。
あれさ、おかあさん、本書いてるんでしょ。がんばってねー。
いいことだわけさ。(*沖縄の方言ね)
お前、だれやねん。 ほんまに・・・・・。
6才のクソガキの発言かよ。それが。 ってか、意味わかってるん?。ほんとに。
私が出会ったすべての人に、ありがとう。
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