母方のおばあちゃんが亡くなった。
うーむ。私はどうすればいいんだろう。わからない。
両親が離婚して、私は小学校3年生の時母方に連れられて家を出た。
でも、私は今も父方の苗字を名乗っている。
それは、私が選んだこと。
一度結婚して父方の戸籍から抜けたあと、離婚するときにそこにも戻りたくはなくて、今の私は戸籍筆頭者。
私はある時家族を捨てて、私の日々の選択から生まれた新しい人生を生き、
私からはじまった愛する家族と日々を暮らしている。
葬儀に出れば、いろんな人に会わなければならない。
困った。でも、出るべきなんだろうか。わからん。
母の母。でも私はあまりあったことのない人で、なくなったと聞いてもあまり感情が湧かない。
まったく悲しくもないことに対して、自分で自分は冷たい人だと驚きショックを受けている。
輪廻を信じる私は、死に対してあまり悪いイメージは持ってない。
創価学会員のおばあちゃがどう思っているかは別だけど。
ボケてしまって、孫の私のこともわからなくなってしまったのは、もう5年も前のことだ。
苦しまずに逝ったのならそれはそれで天命かなあとも思う。
葬式はいつなんだろう。香川の田舎まで、どうやっていけばいいのかさえわからない。
フェリー?新幹線?。ネットで調べたけれど、よくわからない。
明日は、息子の遠足だ。息子はどうしても行きたがるだろう。
休ませてまで、葬儀に?。今回は預かってくれる人もいない。こまっちゃったなあ。
私は、どうするんだろう。田舎に行って、母にあって、どうするんだろう。
あー。わからん。 ごめんなさい垂れ流しの日記。
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もしも僕が風の中で動けない日がきたら、
そのときはどうか自分の道を歩き出してほしい。
きっと、この想いはいろんなところに染み渡っていると信じているから。
この身体が朽ち果てたとしても、大丈夫。
僕に悔いはない。
だから、おねがいです。
もしも僕が風の中で動けなくなるその日がきたら、
そのときはどうか自分の道を歩き出して。
その風の中に、僕を置いて、前を向いて、自分の道を。
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