こころの大地に種をまこう 春名尚子の言霊日記

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2002年05月15日(水) 深き泥の中に眠る蓮華の種


 今日5月15日は、沖縄の日本復帰30年目の日だ。

 戦争前は、独立国だった沖縄なので、歴史的に考えて、

 “日本復帰”なのか、“日本併合”なのか、

 それは難しいところだけれどね。



 どちらであったにせよ、沖縄という島に住む民族が、

 平和に幸せに暮らすことが出来るならば、それが一番素晴らしいことだと思う。


 そして、それが、一番今むずかしいことなんだけどね。おかしな世界だ。まったく!。



 沖縄は、“未来を包んだ種”なのではないかと思う。


 それはね、ただの種じゃない。

 腐敗した深い深い泥の中で、ひたすら眠り続けている、

 先祖の経験や財産を、その堅い殻の中に守り続けている蓮華の種なのだ。


 その種はいつか花咲く日を待ちながら今も眠っている。



その島は、500年前にすべての武器を放棄した島だ。

 武器を捨て、軍隊を持たなかった平和の島は、ナポレオンをも驚愕させたという。


 けれど、侵略の歴史の渦の中に巻き込まれてゆくことになる。
 
 1609年の「慶長の役」で、薩摩に侵略されてしまい、日本の一藩にされてしまった。

 その後、廃藩置県、第二次世界大戦、信託統治、日本復帰など歴史の荒波を経て、

 今では自衛隊基地とアメリカの基地によって小さな島の大部分が占められている。

 
「武器を捨て、軍隊を持たなかったから、侵略され占領され植民されたのだ、

  沖縄に軍隊は必要で、米軍は沖縄を守ってくれている。」



  そのような意見も確かにある。


  けれど、私は信じたい。


  沖縄の人々は「侵略されても、武器を捨てた誇りは失わなかった」と。



  暴力には暴力、武器には武器、戦争には戦争を


  その繰り返しと、それに乗じる軍需産業で、現代文明は栄えてきた。


  戦争や基地は経済効果を生み出す。

  世界経済が産軍複合体の恩恵を得ていることは紛れもない事実だ。



  でもね、人の血と犠牲に成り立つ経済と、

          人の不幸の上になり立つ便利で裕福な暮らし。


  そんなものが、ほんとうの幸せっていえるのかなぁ。




  私は、思うのです。


  戦争に明け暮れた20世紀は、やっぱり間違っていたよね。

  どこか、おかしかったよね。

  「武器を持って他国を侵略する精神性」

  「武器を捨てて、平和とともに他国と和合しようとする精神性」

  これからの世界にとって、どちらが必要なものだと思いますか?。




   戦争と平和



  個人で考えるには難しすぎる問題だけれど、

  現在を生きる一人一人に重くのしかかっている課題なんだよね。


  多くの人はそれに気がつかず、または目をつぶっている。




  武器や核の傘に守られた平和なんて、偽物でしかないよ。

  いつどんなことで、そのバランスが壊れるかわからないんだよ。

  ナニカにおびえて暮らすのではなくって、心の底から笑える日々を送りたい。


 
  沖縄では新しい基地が創られようとしていて、日本は戦争への道を歩き始めている。


  平和とは戦争がないことではない。


  たとえ戦争がなくなっても、心に平和が訪れなければ問題はどこからでも湧き出てくる。


  まずは、平和を想う心がつながりあうことが必要。


  一人、一人が、瞬間を大切に幸せを感じながら生きることが必要。



  自分に余裕がなければ、人を思いやることなんて出来ないよね。

  だから、まずは自分自身を思いやって、大事にして。
 

   今日も一日、あなたが幸せでいてください。









それはそれで、むずかしいんだけど・・・・。(笑)


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