2002年09月12日(木) : キャラクターの「死」

現代日常もの小説だとあまり関係ない「死」(あえてテーマにした場合は除外)。
が、剣と魔法の異世界ファンタジージャンルの場合は、冒険や戦争を扱ったものが多くなるでしょうから、「死」は避けられない問題だと思います。

キャラクターとは、勿論、実在の人間ではない。
ただし、それは我々「三次元の」存在としては、であって、描かれた世界では血肉を持って生きている存在である(多分。意図して、血肉のなさそうな存在にされているようなキャラもいる)。
従って、当たり前だけど、殺されたら死ぬ。生きてるんだから。
問題は、その「死」の意義。
感動のため、演出のための死、が見え見えだったら、あまりにも興ざめ。
FFIIなんか、本当に人が死にすぎた。「お前もか! お前もお前も死ぬんか!」(犬死大賞は、今更言うまでもなくミンウ)で、その反省かどうか、FFIVでは、「お前もか! お前もお前も生きてたんか! 本当に死んだのは爺だけかい!」だったけれど……。
脱線しました。

勿論、「人が死ぬ」わけだから、軽いわけではなく、それなりのショックを読み手には与えるものでしょう。
問題は、送り手がそのキャラクターに「情を持って」死を迎えさせるかどうか、でしょうか。
「面倒だから殺しちゃえ」「盛り上がるから死なせちゃえ」という安易なスタンスが、私は嫌いです。聞いてるのか、N村〜!(私怨)
こいつは悪役だから、悪役らしい最期を用意してやろう、とか。
こいつは小物だから、せこい死に方にしてやろう、とか。
こいつは今まで頑張ってきたけど、どーしても死んでくれないと話が進まない、だからゴメン、せめて華々しい最期にしてあげるから許して、とか(それもどうか)。
それなりに何と言うか……納得できる死に方というのを、去りゆくキャラクターにせめてもの手向けにしたい。して欲しい。

ちなみに、私は某少年漫画雑誌のように、「死んだはずが生き返る」はしたくありません。どんなに罵倒されても。
架空の死であっても、死は死。だから重い。
安易に「死」を選択するような物語は書きたくない。

……暗い話題で申し訳ありません。









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