2002年04月18日(木) :
参考資料
小説を書くに当たって、全くの空想世界を扱う場合でも、やはり何らかの勉強は必要では無いでしょうか。 私の場合、『Shadow Saga』は、ほとんど頭の中での話なんですけど。ちょっと人名を調べたくらいですかね……(舞台となる北方大陸は、ドイツ・ゲルマン系の名前で統一しようと思ったので)。 北方大陸が北欧風のイメージがあるので、それっぽい雰囲気を出すのに、調べた方がいいかも。 『華京騒動録』は、軽いコメディ調のお話なんですけど、舞台が宋代中国風になってますので、こちらはもう、たくさん資料が必要です。
お話を書くにあたって、何で勉強が必要かというと、やっぱり「説得力」を与えるためでしょう。 そこに人が生きて生活している、という肌触り。 架空のお話とはいえ、大抵の人は「人間」あるいはそれに類する知的生命体を登場人物にしているはずですから。 その世界で、どういう暮らしが送られているか、作者本人が掴めていないと、せっかく読んで下さる人も、いまいちピンと来ないでしょう。お話全体のピントがぼけるというか。
『華京騒動録』が何故、宋代中国「風」なのかと言うと、私は中国古代史を専門に勉強していたので、宋代都市生活が魅力的な題材であることは分かっていても、やはり門外漢的な観が否めなかったからです。 いわゆる正史に記載されているような「表」の歴史を書くならともかく、こういう社会史みたいなものを書こうとすると、すっげーボロを出してしまいそうなので……。
『三国志』ブームと言われて久しい昨今、『三国志』歴史書をちゃんと読んで、小説を書いた人はどれぐらい居るでしょうか。『三国志演義』も読んでない人も多いでしょうね。 分かっててやってるならともかく、張飛の字は本当は益徳だし、当時の武器に青竜偃月刀も蛇矛も無いこと(これらの武器が開発されるのは、唐代以降です)を、ちゃんと知っているのでしょうか。また、当時の鞍には鐙がついてなかったことも。 細かいこと言い出したりしたら、本当にキリが無いんですけど。 『封神演義』でも、生前の紂王にそう呼びかけてたりしますが、そんなことしたら、即炮烙の刑決定ですね。紂王というのは、そもそも王の死後に贈られる「諡号(おくりな)」です。この諡号というのも、ちゃんとそういう決まりごとがあって、紂というのは、「義を残い善を損なうを紂と曰う」と、大変悪い意味の名前なんです。 後、田中芳樹氏も口を酸っぱくして言ってるように、「姓名+字」の表記も止めて欲しいですねぇ……。 『三国志』と同じくらい人気がある中国史、と言ったら『項羽と劉邦』の楚漢戦争時代となるでしょうが、例を挙げると、項羽。項羽の場合、羽は字で、名は籍です。「項籍羽」って変でしょう?そういうことなんですけど。
強制された勉強でなくて、好きでやってることに関しての勉強なら、そんなに苦にはならないと思います。いかがなものでしょうか。 ううむ、本日も自戒モードです。苦笑
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