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■ 人生は悲しい
以前にも ここに書いたけれど
私の12才は 充分大人だった。
それに気づいたのは 20才の時だった。
12才のあの時の自分と 今の自分は
精神の原型として 何ら変化がないことに
20才で気がついた。
更に言えば 私の今は
感情のカラクリにおいて 20才の頃と何ら変化はない。
ならば
私の場合は 12才で人としての原型が出来上がった事になる。
時に非常に己が幼稚なのは
12才の時 あの精神の原型が
成長しないまま 居座っているからなのか。
確かに 長じて様々なものを見、聞き、学び、
おそらく人並み以上のものを得 当然のように人並み以上のものを失った。
しかし、
それらの新しい経験によって 人生観が変わると言うような事は未だない。
12才の少女の感情は
自分自身のその時を 忘却した者が思う以上に
充分成熟しているものだ。
淡々と 現行法によって 粛々と
更生プログラムを受け入れ
マスコミに 必要以上に晒されることなく
罪を一生 罪として感じ続け
ひたむきに生きていく事が
その少女の贖いだろうか。
刑罰で裁かれる事がない者の犯した罪は
その保護者が 当然肩代わりしてもらわなければ
殺された者の家族にとっては 余りにも理不尽な話しだろう。
辛さを 辛さとして一生味わって生きていく。
加害者の親の贖いのスタンスは その辺だろうか。
人生は 悲しい。
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小さなフォト日録
静かな日常BBS
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2004年06月03日(木)
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