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■ へ考
「はーいジョンさん、しばらくですね〜。お元気ですか〜」 「あー。こちらは恋人ですか? これからどこへ行きますか? ・・・そうですか、デパートへコンピューターを買いに行きますか。いいですね〜」
とまあ、初級のうちは日本語教師自らもこんなヘタレ外国人みたいな日本語しか使ってはいけない。教科書に出てくる文型限定だから。教科書語彙・表現はたとえば
(お)ひさしぶり → しばらくですね 彼氏 / 彼女 → こいびと パソコン → コンピューター 卓球 → ピンポン 〜なきゃいけない、〜なくちゃならない、〜ないといけない → 〜なければなりません
などなど、わざわざ使わないほうを選んだだろう的語彙で統一しているので、あんまり長いこと学習者と仲良く話していると、日本人と普通に話していても「あいつの自動車がさあ」などと口走って一人赤面する、という罠にはまる。たぶん先生たちはたいてい食らってると思う。
それでも、学習者相手につい「〜なければいけません」なんて言ってしまうと混乱必至、おおごとなので、けっこう早いうちに、あっさりとこのティーチャートークを会得してしまうものだ。
たとえば教科書によって「東京に行く」「東京へ行く」という違いがあって、人によってテキストが違ったりすると気を遣う。授業中は間違えないからいいが、街中で偶然会ったりするとドキドキもん。
それはともかく、「に」と「へ」は違う。
「に」が目的地なのに対して(新宿に着く、シュートがゴール右隅に突き刺さる)、「へ」は漠然と方向を指し示すだけ(東へ向かう、奥のほうへどうぞ)。「へ」には「辺」という、れっきとした漢字がある。「ここら辺」て感じで。ここまでは調べりゃわかる。
はっきり目的地を言うのなら、「に」が正しいんだけど、「へ」も使ってきたのは、「あいまいに言うのが礼儀」という日本の伝統が大きいからだと思っている。ここからは俺の考えね。
礼儀というだけじゃなく、露骨な表現は「罰が当たる」という感覚がある。遠まわしに言わないと、対象の「霊力、みたま」にアテられる、という感覚は、今でも根強くあるはずだ。
縁起でもないこと、言わないで! なんて言われたら「古臭いなあ」と思う人でも、「実は先週祖父が交通事故で亡くなりまして」とは言わないはずだ。身内に不幸がありまして、ぐらいが自然だし、周りを心配させるのは最小限にしたい、と思うはずだ。
畏れ多いものやヨクワカラナイもの(例の場合は「死」、他にも目上の人、初対面の人や特に「よそ者」、災害、事故や犯罪などなど、つまりヨクワカラナイゆえに自分に危害や悪影響が及ぶ恐れがあるもの)は、目に見えない精神的エネルギーを持っている。
そのエネルギーを刺激しないように、ことさら遠まわしに、あいまいに言ってきたのが、文法だけじゃ説明できない「実際に使われてきた日本語」というものだ。
身内に不幸がありまして、と言う人は、「人が死んだ」という事実がもつ強いエネルギーが他の人に影響しないよう、遠まわしな表現をして「気を使っている」。
たぶん、昔は「☆☆神社に行く」とか「江戸に行く」なんて言わず、「ちょっと☆☆さんへ」「☆☆さんまで」とか、「主人は江戸へ行っとりまして」と言ったはずだ。神社や、江戸は、恐れるべき対象だった。だから、露骨に指し示さず、ぼかして言う必要があった。
同じように、今でも目上の人(部長とかお客様とか)に対しては、「へ」を使ってやわらかく言うのが、一般的だ。 「本社にお帰りになりますか」は敬語としてやや失格なのだ。「これから本社のほうへお戻りですか」ぐらいで釣り合う感じで、文法で言えば「へ」には元々「のほう」という意味があるから過剰敬語のような気もするけど、これは「感じ」というしかない。
『チーズはどこに消えた?』『ジョニーは戦場に行った』なんて、翻訳だからこそ「に」が使ってあるので、これを「へ」に換えたら、微妙に(しかし明らかに)意味が違ってくるのが分かるだろう。
「に」「へ」を使い分けている人は(日本語教師はともかく)少ない。でも、アナウンサーにはたまに意識しているな、という人もいて、それに気づくと個人的にその人のことがすごく好きになる。俺はこの一点でアナウンサーを判断しているといっていい。
助詞に比べれば、よく言われるガギグゲゴの鼻濁音なんてミミズのうんこみたいなもんなのにね。
多いんだ、ほんとに頭わるそうなアナウンサー。向上心ないんだろうな。あと、新聞やさんもね・・・
2003年05月01日(木)
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