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■ 初詣曼陀羅らら
世間は連休に突入だそうだ。 あいかわらず世間と何かがずれている俺。苦悩。ああ苦悩(΄д`。o O
引きこもり気味の帰国一週間で、どうやら自分があんまり成長していないことに気づいたので、地元が誇る神様にちょっと新生活の誓いを立てに行くことにした。
いい季節になって、宮島はすごい人出だった。なんか東京弁と英語ばかりが耳につく。でもどんなにごったがえしても、初詣に来たのはきっと俺だけなのだ。
神様。(と、俺はいつものようにメインの女神様、市杵島姫命[いちきしまひめのみこと]が祭られているところで厳かに手を合わせる)これで26年連続、無事にお参りすることができました。 2月に京都の北野天満宮に行っちゃったけど、あれはただの観光で初詣じゃないんです。 だから今年もどうかよろしく。 とまあ日本の神様の懐が深そうなところが、目下プーには身にしみてありがたいのである。
厳島神社を出て、大聖院まであがると、さすが密教の大寺院、チベット僧が作った砂マンダラというのを特別展示している。
拝観無料はありがたいがものすごい地味な展示でさすがチベットという感じだ。というか、ご本尊のど真ん前に置いてあるので、ちゃんと参詣に来た信者の人たちが正座して線香を上げる、その前に突っ立つことになり落ち着かないこと甚だしい。
実は俺の卒論というのが「チベット仏教」関連だったこともあり、ゲルク派だとかデプン僧院だとかいう説明も一人あっさりと納得していくので逆に不審がられた。
ちゅうか一度もチベットなんて行ったことないくせによくもヌケヌケと書き上げたものだ。これは真面目な話、いま学生に戻れたら、たぶん他のテーマで書いていた代わり、めちゃくちゃ勉強してやる自信があるのに・・・。
砂マンダラというのはあれですね。砂で書いたマンダラ(曼陀羅)。マンダラは、仏教的世界観を図にしたもので、仏教の世界地図(というか宇宙地図)として、日本仏教にもあるんだけど、チベットでは、この世のすべては空しく、滅び行くことを示すために(諸行無常!)これを砂と塗料だけで仕上げ、完成したらその場で破壊するというすごい強烈な精神性があるものになっている(ほんとは写真も撮っちゃいけないはず)。
「宗教美術」と呼ばれるものは、文化圏を問わずとにかく美しいもので、美しさの背後には「信じる」という微熱、高熱が強く働いているのを感じる。 ごたくを言っても空しいけど、特に砂マンダラなんてその場で壊す以上、その場にいない人には「とにかく見ろ」とも言えないのが残念なところ。
あーキレイダッタ!
2003年04月27日(日)
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