ゆれるゆれる
てんのー



 じゃあ、俺に何ができる? 考えてみますた。

 暇だからって、わざわざイラクへ行って「人間の盾」だなんてふざけんな、と戦争が始まった日に書いたのだが、どうも問題は単純じゃないらしい。

 本を読んでいても、広いとか広告とかとにかく「広」という漢字にいちいち反応してしまうくらいの広島人なので、反戦運動には(自分は参加しないけど)もちろん敬意を持っている。
 こんどの開戦でも、出るだろうな・・・と思っていたらやっぱり出た。
 手をつないで原爆ドームを囲んだそうだ。
 人の列は二重にもなったそうだ。ヒロシマは許さない・・・。
 同じ安全なところにいても、いやだいやだ、おおこわい・・・と一人で縮こまっている俺と、ソレ鬼畜ブッシュがやりやがった、いくぞ野郎共! と、てきぱきと企画して原爆ドームを取り囲んでしまう活動家ならびに反戦市民と、どっちが行動的かは、言うまでもない。
 飛ぶ前に見るタイプの俺は、ひそかに思うのだ。
 ねえ、囲んだのは分かったけど、だから何なんだ?

 大国のエゴで、核実験は繰り返され、原爆慰霊碑の前ではもう何百回となく「座り込みの抗議」が行われている。全国ニュースはいざ知らず、広島の地域ニュースはどんなにこの抗議のニュース価値がゼロに近づこうと、そのたびに必ず取り上げて報道する。
「最高気温が36度を記録した今日、アメリカの核実験を受けて高齢の被爆者たちが炎天下の原爆慰霊碑前で座り込みを実施し、無言の抗議を繰り広げました」
こんな感じで、原稿もフォーマット通り読んでほとんど問題ないと思う。
 申し訳ないとは思いつつ、でもどうしても思ってしまうのだ。
 ねえ、ご苦労様、でもそれがどうしたんだ?

 シンプルな主張のもとに集まった集団は団結しやすい。難しい問題について集団を作ろうとすると、どうしても少しづつ違うけれど似たような集団がたくさん出来上がる。
 そして、主張のある集団は思想性を帯びる。しかたのないことだ。
 広島の、いや日本の被爆者団体は不幸な歴史をたどった。
 今の状況から考えると、くだらないとしか言いようのない路線対立をきっかけに、大きく二つに分かれてしまい、核兵器に対する強力な反対運動ができる数少ないブランド「ヒロシマ」「ナガサキ」は世界の中で、まるで力を失ってしまった。
 そして今では、自分の口で意見も言わず、黙りこくって自分の町の地べたに座り込むことしかできない。

 初めて「座り込み」抗議を思いつき、実行した人は、えらかった。
 おそらく、僕などでは想像もできないほど、世界に与えた衝撃も大きかったと思う。
 ガンジーの非暴力・不服従を下敷きにした、力強いメッセージがそこにはあった。
 だけど、毎度毎度の「座り込み」は、いつのまにか安易な「反戦してます」記号になりさがり、しかも、その跡を受け継ぐはずの世代の「反戦運動」に、決定的な欠陥を引き継いでしまった。つまり、どうして座り込むことが戦争反対の意思表示になるのか、という根本のところについてまで、だんまりを決めこんでしまったのだ。
 おかげさまで、「それらしいマーク(ノボリ、横断幕など)」と「それらしいシンボル(原爆ドーム、赤ちゃんの写真など)」があれば、主張など二の次でよくなったのだ。少なくとも、メディアの扱いで言えば。
 右を見てごらん。左を見てごらん。原爆ドームを取り囲もう。広島から長崎まで歩いてみよう。「ピースウォーク」とか、若者が寄り付きそうなヨコモジにしとけばテレビも来るだろ。

 日本の平和団体やらNGOやらがこぞってカタカナ名なのが胡散臭くてならない。
 ほんとに主張があれば、ほんとに目的がはっきりしていれば、音の響きだけで適当な英語名をつけたりはしないと思うのだ。平和を求める名前が米英語というのも皮肉としてはアリだろうが。

 みんなで手をつなごー?
 顔あらって出直して来い。

2003年03月25日(火)
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