ジョージ北峰の日記
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「だがね、私の青年時代、国のために戦う軍人は、人々からとても尊敬されていたんだ。だから自分は軍人になることが憧れだった。そのことで人々から尊敬されることが、ある意味で自分の誇りであり生甲斐だったのだ。私の両親も人々から羨ましがれ、両親は私のことを誇りにしていたと思う。当時はそんな社会風潮だったのだ。 欧米列強に植民地支配され続けていたアジアの国々を日本が先頭に立って開放する。 自立した、自由なアジアを日本が作上げる。その為に、日本の若者が立ち上がる。 その考えは、当時の若者にとってとても新鮮でかつ魅力的、革命的でさえあったのだ。
戦後、日本人の、いや軍人の考えが誤っていたとにされた。「何が誤っていたのだ!」 戦後暫くの間、私は欧米の連合軍にものすごい反発を感じたものだった。 しかし、その後、私が理想と信じていた、当時の日本の表向きの正義は、歴史的に振り返って見ると私の考えていた正義感とは必ずしも一致していないことが分かった。当時私は単に自分の若さ、甘い理想に酔っていただけだったんだ。 その後、随分悩んだが結局人の命を救う仕事に携わろうと医者になることに気持ちを切り替えたのだ」 「おじさんはお医者さんなの?」 「そうだよ」 「よく考え直して見ると、自分の本来考えていた正義は、本当は戦争とは関係なく、ヒューマニズムに基づいて世界の人々の幸せの為に純粋に生きることだったんだ。 それには戦うことも已むを得ない、と---しかし戦後、自分が何をするかよく考えてみると、私の理想に矛盾しない道は医者しかないと思えるようになったのだ。 本当は医学こそ、自分が求めていた理想と矛盾しない仕事かなと思えるようになった。死んでいった戦友たちを弔うためにも。又戦争で傷ついた人々を助ける為にも。 ところでヒューマニズムって言葉を知っているかね?」 「聞いたことはあります。でも---」 「君の年齢なら知らなくて当たり前だよ。これはね、今君がなりたいと考えている哲学者の最も中心的な課題だったし、これからも最も中心的な問題でもあるだろう。いずれ君も、ヒューマニズムについて真剣に考える日が来るだろうが---簡単い言えば、人が人として生きる上で生き方の根本となる原理のことなのだけど。 人間中心主義ともいえるだろうが、しかし人間は何をしても良いかというそうとも言えない。 そこに難しい道徳の問題が関わってくるのだ。戦後日本では道徳と言う言葉は禁句になっているがね----と、言っても君には分からないだろうが---」
ススキ小屋は、相変わらず強い風で揺れていました。しかし老人の熱のこもった話で寒さはどこかに吹き飛んでいました。時々近所の家族連れが、池の脇の道を通り過ぎていきました。子供達は私に気付くと、手を振るのでした。遠くで射しこんでいた日の光は徐々に広がり始めていました。 「君は子供達に人気があるのだね」と、言いながら、老人は一話し終えると、水筒を取り出し、暖かいお茶を蓋に注ぎ、私の飲むように勧めてくれるのでした。金縁のメガネ、赤銅色の肌をした、苦難の道を克服しきったといえう自信の年輪を感じさせる老人でしたが、話しているうちに若さが漲って(みなぎって)来るように思えるのでした。 「 これはおいしいお茶だよ。飲んでごらん」 「これは魔法瓶と言ってね、湯を暖かいまま保温できる水筒だ」と自慢げに話すのですが、メガネの奥には、やさしさの中に、しかし何かを射るような眼光が感じられるでした。 一口してみると、お茶は甘くこうばしい香りが口いっぱいに広がるのでした。 当時は、お茶と言えば家では、白湯(さゆ)か良くてほうじ茶、砂糖は貴重品で、甘いお茶を口にすることは決してありませんでした。だから、寒さの中で、暖かく、甘くて、芳ばしいお茶を飲んだことで老人が「神様の化身?」のように思えるのでした。
「君は哲学者になろうと考えていると言ったね。実はそれだけで、君は十分な哲学者だよ。例えば、君が何か不安を抱いて考えている。自分の将来のことでもいい。寂しいとか、1人ぼっちだとか、つらいこととか---、もしその不安が何処から出て来るのか、如何すれば克服できるのかなんかを考えているとしたら、君は本当に哲学者だよ」と---。
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