ジョージ北峰の日記
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23 兄が医学部に進んでからは、兄は私にとって遠い存在になり始めていました。兄は実学に専念することになり哲学を語ることがなくなったのです。 しかし、私は既に兄の影響を強く受けていました。自分は将来どんな人間になろうとしているのか。漠然とではありますが、考えるようになっていました。
当時父が、子供によく哲学の話をすることがありました。昔第一高等学校の俊秀が、哲学にのめりこんで悩み、遺書を残して、若くして華厳の滝から飛び込んだ、西田幾多郎が西洋哲学とは全く違った観点から独創的な東洋哲学を打ち立てたとかー。又実存主義を信奉する若い学生が、主義の為に殺人事件を犯したと主張しているが、その学生の実存主義の理解は誤っていた、とか--。 また西田幾多郎は哲学するのに「哲学の道」をよく散歩しながら思索したとかーいかにも楽しそうに話すのです。私も何時しか、父や兄の影響をうけ哲学者になりたい夢を持ち始めていました。 幸い私の家は散歩にうってつけの自然歩道がいくらでもありました。 私も哲学者気取りになって一人で山道を歩くことがありました。「どうすれば哲学者になれるのだろう? 」と単純に考えながら---。
ある寒い冬の日、家を出て裏道を登って池の堤防出ると、枯れたススキの群れが強い北風に逆らうように力強く揺れていました。このススキの群れの中に分け入り自分の座る場所を確保しますと強い風を避けうる山小屋に早変わりするのです。踏み倒したススキの穂が折り重なって、冷たい地面から身を守ることも可能で、暖かい枯れ草の香りをほのかに放つ畳に早代わりするのです。小鳥の巣のようなものです。 枯れ切って軽くなったススキの穂が風にしなる姿は、外から見ると寂しく見えるのですが、中に入るとどんな強風にもへこたれない頼もしさを感ずるのでした。この空間が私にとって、一人で色々考たり想像したりする夢の世界を演出するのでした。 小学校を卒業する頃には、其処で自分の将来をよく考えるようになりま た。時の経過につれ周囲の環境も変わり、人は私の周りから皆去って行き、何もかもが私を置いてきぼりしていくようで、言い知れない寂しさが何処からともなくこみ上げてくる時もありました。
その日は強い北風が池の水面を毛羽立たせていました。夏には魚が跳ね水鳥が楽しそうに浮かぶ賑やかな池面も、寒々と灰色にくすんで見えました。ふとN子と楽しく遊んだ日々、兄や姉と泳いでいた頃に思い馳せていますと堤防の下から、リュックを背負って片手にピッケルを持ち山登り支度の初老のおじさんが大股で上ってくるに気付きました。旅慣れた人のようで、頑健な体つきではありますが、私に気付くと優しそうな笑顔を浮かべ近づいてきました。
「良いところに座っているね。寒くないのかね?おじさんも暫く座らせてもらおうか」と座っていきたのです。 私は一度も会ったことがない人に、突然話しかけられて驚いたのですが、「ええ」と小さな声で答えますと、笑顔を浮かべながら、私の方は無視するように、大人に話しかけるような口調で、自分は隠居の身で、時々山歩きをするのだと話し始めました。 ただ、いま振り返ってみると、そのおじさんと話したことが私の人生に大きな影響を及ぼしたのですが、どうしたことか不思議なぐらいその姿が思い出せないのです。 笑顔は優しいが、内に強い意思を秘めた人だなと思った印象が強く残っています。 私が大人びた口調で「自分の将来をどうするのか考えている」と話しますと、紳士は「君はまだ子供なのに、もうそんなことを考えているのかい?」と暫く話していましたが、何かの拍子で私が兄の話をしますと、老人は驚いた様子で、「君の兄さんのことはよく知っている。君があの青年の弟とは---偶然にしては---」と何かを話していましたが「君の兄さんとは、よく話したことがあるのだよ」と言って、話し始めました。
そのおじさんが話すのには自分はもと海軍で、南方の作戦に参加していたが、死にきれないまま帰国してしまった。それが一番心残りだというのです。「死んだほうがよかったのですか?」と私。 「うん、敗戦の日は本当に死にたいと思った。自分は国のために尽くすために軍人になったのだから。勿論死ぬことを覚悟していた。軍人だから---。ところが、運が悪かったのかよかったのか、日本の敗戦、生き延びた結果、世の中の考え方が180度変わってしまった。それまで、自分が正しいと考えていたことが、すべて間違ったことになったのだ。 それまで沈むことがないと信じ切っていた軍艦が敵の猛烈な攻撃で沈んでいく姿を目の当たりにした時、日本を守っていた巨大な精神が倒れていくような気がしたのだ。それまで日本人だけが、死をも恐れない勇気ある立派な民族だと信じていたが、そんなことはなかった。敵の戦闘機も弾幕をかいくぐって死に物狂いで攻撃してくるのだ。その時初めて、自分のアメリカ人に対する理解が誤っていたことを気付いた。 これはただ事ではない、この戦争は本当に日本は負けるかもしれないとその時初めて理解したんだ。涙ながらに帰ってきたのは、この悔しい思いをさらに強くして再起をきすためだった。国を守る為にさらに強くならなければ、軍人になった意味がないと強く決心したからだった。 しかしその夢も敗戦とともに消えてしまった。 戦後、自分が少年の頃から正しいと信じてきた「日本は強い国家だ。私はこの国を守るために死ぬ」という単純な価値観が間違っていたことを思い知らされた。 大人になってから自分の価値観の崩壊、それがどんな大変なことか君には分からないだろうね。
それこそ敗戦の日、死すべきか、生きるべきか真剣に悩んだよ。で、今も生きているのは、その時自分の身をもって体験したことを後世の人に伝えることだと気持ちを切り替えたからだ。子供は、人の話に影響されやすい。だから君のように自分の生き方を自分で考えることは正しい。しかし独りよがりの理解は時として人を間違った方向に導くものだ。
君は幾つだね—12歳か—だったら将来のことは考えずに今、やらなければならない学問を一生懸命することが1番大切だ。そうすればいずれ自分の進路は自然に決まってくる。―ところで将来何になりたいのだねー哲学者?本当かね?凄いことを考えているんだね。君の年齢なら、もっと“お金持ちになりたいとか”あるだろう」 私が兄の話をすると「そうだった、君の兄さんとよく似た考えだったね、と頷き、それならひとつ君に教えてあげたいことがある」と言って人間の持つ不思議な能力について話してくれたのです。
「戦場で、明日死ぬかも知れないと思うと、人間はものすごい能力を発揮するものなんだ。1ヶ月はかかると思っていた本が1日で読める。それまで分からないと思っていたことが一挙に理解できるようになる。嫌いだった人も、助け合う中で好きになり、語らずともお互いを理解できるようになるのだ。これは想像もつかなかった不思議な経験だったよ。その時自分は、人は本当にものすごい能力を秘めていると知ったんだ。しかしほとんどの人がその能力を発揮できないままだ。
自分の経験から言うと、結局、戦場の様な異様な雰囲気の中で、人は初めてひとつのことに集中する能力が高まる。それが普通の言葉で言えば集中力が高まるということだろうが、少し変わった言葉で言えば、日頃は隠れている「精神の潜在的能力の発現」ということだろう---「気」という言葉も同じことを言っているのかも知れない。 この能力は本来誰もが持っている。しかしこの自分の隠れた能力を、発現させることは通常ではものすごく難しい。
君の兄さんはこの「気」を経験しているんだよ」と言葉を切った。 相変わらず北風が吹き荒れていました。 しかし西の空が少し明るさをまし僅かに青空が覗き、合間から太陽の光がビームとなって差し込んできました。まだまだおじさんの話は続いた。
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