ジョージ北峰の日記
DiaryINDEX|past|will
それから、おじさんは「如何だね。体が少しは温まったかね」と水筒の蓋を閉めながら----少し間をおいて話し始めた。
「人間と動物の違いについて、何か知っていることがあるかね?」 突然の質問に少し顔を赤らめながら「人間は話すことが出来る。そして考えることも出来る」と答えますと、おじさんは感心したように頷きながら「さすがは哲学者だ」と言って「それが動物と人間の本質的な違いだね。じゃあ動物と植物の違いは?」 当時、動物図鑑や、植物図鑑などよく見ていましたので「動物は行動することが出来るが、植物は出来ない。動物は他の動物や植物を食べてしか生きられないが、植物は、雨や土それに太陽から栄養物を摂って生きることが出来る」と答えると、さらに畳み掛ける様に「誰が一番えらいと思う」と、おじさん。 私が一瞬答えに窮しますと、おじさんは私の目をじっと覗き込むように笑顔を見せながら「人間ではないのかね?人間は話すことが出来る上に、考えることも出来る」 私が少し反抗的に「しかし人間は、他の動物や植物がなければ生きることが出来ない」
「立派な答えだ。しかし今は少し違った話をしてあげよう。少し哲学的な話だよ。人間は、考えることが出来る、人間独自の文明を作ることも出来る。文明と言うと少し難しいかも知れないが、原始時代と現代とでは、人は随分違った生活をしているのは分かるだろう。人間が他の動物と違うのは、生活のあり方をどんどん変える能力を有するからだとも言える。その生活様式の進歩を文明と呼ぶことにしよう。 さてそこでだが---“人間の本質(簡単には特性としておこう)は考える精神(魂としておこう)を持つ存在である”一方“魂は形のない存在である”ともいえるだろう?とすれば“人間の本質は形のない存在である”という事になる。 これは三段論法だが、人間の本質は、形がないのだ。無論この考えには反対する人もたくさんいるだろうが----つまり人間は霊的存在(霊長類とも言うが)、いや、今は魂のある存在(と言っておこう)が本質なのだ」 私は「魂は存在するのですか?」と尋ねますと「人と他の動植物の違いは、人が考えたり、話をしたりすることだっただろう?----と言うことは、人間は考えたり、話をしたりする魂を持っていることになる。このことが、人と他の生物との本質的な違いだと君は最初に言ったね?---- 話したり、考えたりする能力は、我々の目に見える物ではない。しかしそれがなければ、つまり存在しなければ人間を説明することも出来ない----とすれば、見えなくとも、存在と言えるだろう?」 「----」と私。 「つまりね、人間の存在の本質は“魂”にあると考えてみよう。と、すれば人間の体は魂が宿る場所ということになる。で、人が死んだら、魂はどうなるのだろう? 人の死とともに消えて亡くなるだろうか? もし人が死んで魂が消えてしまうなら、人間社会に文明の進歩は、とうの昔になくなっていた。人の魂は、他の人の魂と一緒になって、次の世代の人達に受け継がれていく」 「魂は、人が死んでも残っていくの?天国に?」と私。 おじさんは笑いながら、「天国が地獄か知らないが、魂はどこかに残っていくと考える。人間の社会の上に、過去の人達の魂が雲のように浮かんでいる、それが人間社会の文明を形作ってきたと考えなければ、人と他の生物の区別がつかなくなる。魂の雲はアメーバのように時代・時代の魂を食べ続けて成長していくのだ」
「死んだ人達の魂は、すべて残っていくの?親や兄弟の?」 「でも魂の中には、良い魂とか悪い魂とかあるでしょう?それも全部残るの?」と私。 「勿論だよ。しかし物事の善悪は、時代によって違う。だから簡単に何が善で何が悪は決められない。長い年月の中で悪い魂は選択淘汰されるのかもしれない。あるいは神様が取捨選択されるかも知れない。 ただ悪い魂を飲み込んだ魂のアメーバが優勢になると人間社会の破滅を導くかも知れないがね。神様が正しい選択をしてくれると良いがね」
相変わらず強く吹く風にススキ小屋は揺れていましたが、突然雲の割れ目から日の光が差し込んできて、灰色にさざめいていた池の面に。向こう岸から緑色が回復しながら移動してくるさまがはっきりと見えました。
するとおじさんは、立ち上がりながら、長い間、お邪魔してしまった。楽しかったよ。これからあの山を越えなければいけない、と言うと「どうだい、おじさんの話は、難しかったかい」と笑顔で尋ねて、握手をしてくれたのでした。 私は正直、おじさんの話は珍しく驚きの連続だったので「楽しかった」と答えますと「そうかい?哲学は、難しい言葉で考える必要はないんだよ。ただ、正しいか間違っているか分からないが、人間の生き方、人間社会のあり方を考える学問なのだ。
それこそ色々な意見があるだろう。しかし、君の生き方を自分で考えることが、哲学の出発点になるとだけ言っておきたかったのだよ」
おじさんはピッケルを片手にリュックを背負うと、もう歩き始めていました。強い風が吹いているのに「山を越えるなんて。本当に大丈夫かな?」 私はふと不安になって、「おじさん、ありがとう。気をつけて行ってください---」大声で手を振りますと、ピッケルを高く頭上に持ち上げるようにして---何も答えないで、一瞬笑顔で見せると、急ぎ足で去っていくのでした。
|