ジョージ北峰の日記
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20 当時の日本の社会状況を少し話しておきます。 日本の政治・経済状況はまだ戦後間もない頃で、贅沢は望むべくもなく、人々は誰もが小さな文化住宅、愛し合う夫婦、美味しいご飯、そして平和で暖かい人間関係に満ちたマイホームを持つことが出来れば、とささやかな夢を抱いていたのです。 しかし、当時の政治状況は厳しく軍国主義国家の惨めな敗北に懲りていて、人々は何かにつけ国家主義に反発していました。 当時マルクス主義、つまり人民がブルジョアジーを倒して共産主義国家を実現することを夢見た若者たちが増え始めていました。 マルクス主義は最下層の人々が社会の実権を握ることによってのみ、貧乏をなくし、戦争をなくし、人々に平等で平和、豊かな生活をもたらす素晴らしい思想だと受け入れられ始めたのです。
当時、マルクス主義に心酔する人たちをマルキストと呼び、ある意味“進歩的”と同義語に使われていました。 そのような人々はいずれ資本主義が共産主義社会に移行することは歴史的必然で、その方向を変えることは誰にも出来ないと信じていました。だから戦後の混乱期こそ日本のブルジョアジーを打倒し新しい国を築くにふさわしい時代と認識されていたのです。子供の私ですら不安になるほど社会紛争が頻発していました。 父は私にまで「確かに日本の(ファシズム)が犯した戦争は間違っていた。しかし共産主義になったからといってユートピアが実現できるわけではない。もっと人間が持っている理屈では説明できない“業”と言うか、人間固有の本質が変わらない限り、体制が変わったからと言って、社会がそんなに簡単に変わる訳がない」と息巻いて、 「マルクス主義は、科学的社会主義と言われているが、彼は人間を皆、平均的で同じ能力を有すロボットのように考えている。しかしそれは人間のが示す一面であって、人間はそんな単純なロボットではない。良い意味でも、悪い意味でも、人間は無意識に自分だけが幸福になりたいという潜在意識(欲)を持っている。仮に誰かが何か正しいことを主張したとしても、誰もがその考えに賛同するとは限らない。人は正義と分かっていても、感情的に反対することだってある。それが人間の本性なのだ。ガリレオのように、ただ自然科学的真理を主張しただけで、処刑された人もいたのだから。 まして社会科学は、科学といっても人間の利害に直接関わってくる。しかも何が真理で、何が誤りか証明することが、とても難しい。 第二次世界大戦でも、誰もが勝てる見込みがあるなんて考えてもいなかった。にもかかわらず戦争に突入した。 あの戦争は必然性があったという人もいるが、しかし現実はもっと人間的な泥臭い要因、政治家や軍人達の権力争いが深く関与していた可能性も否定できない。本当のことは闇の中だが---。 共産主義と言っても、人間がやることだから、制度がどんなに立派でも、一度誰かが独裁者なってしまえば、科学的社会主義とは名ばかりで、結局はファシズム国家になる。 何千年もの歴史の中で、理想に燃えた革命家が結局は独裁者になって失脚していったことが数限りなくある」と話すことがありました。
父の話は当時の私にはよく理解出来ていなかったように思います。しかし、いまだに記憶に残っていることを考えますと、私にとって、かなりのインパクトのある話だったのかも知れません。 人間の本性が善なのか悪なのか、老年といわれる年になっても良く分からないのが本当ですから---。ただ今の年になってみると、父の言っていたことも「そうかな」と思えるようになって来ました。 一方そんなこととは関係なく、当時私はN子のことが気掛かりでした。母にN子の病気のことを話しますと、母は驚いて、当時臥(ふ)しの病とされた「k病かしら」とつぶやき「お前の学校は生徒数の少ない田舎の学校だから、 N子さんのいない間、お前がしっかりしないと駄目だよ」と念を入れるのでした。
当時、N子は私にとって、姉のような存在でした。クラスでも、私達が先生に言えないことは積極的に代弁してくれる頼もしい存在でした。
面白いことがありました。ある日の学校での休み時間、子供達が一方は泥棒役、一方は警察役の二手に分かれて遊ぶゲームをしていました。まず泥棒役は逃げて隠れます、暫くして警察役が泥棒役の隠れ家を捜し捕まえる。つかまった子供達は警察の牢屋(と呼んでいました)に手をつないで助けを待つのです。助けに来た子供が繋がれた子供の手にタッチしますと子供達は逃げることが出来ます。 他愛もない遊びですが多くの泥棒たちが捕まっているところを助けに行くのはとても英雄的でスリルに満ちていました。
その日私は仲の良い友達と2人で作戦をたてていました。出来るだけ沢山の泥棒たちが捕まるのを待って、私か友達かが運動場に飛び出します、一人を警察役の子供に追っかけられ、充分ひきつけている間に、隠れていたもう一人が助けに走るという作戦です。 そこで2人は、絶対に見つかることのない古い校舎の縁の下にまるで泥棒猫のように潜りこみました。 そこはかび臭く蜘蛛の巣が張っていて誰も探しに来ない安全な場所だと考えたのです。 しかし、暫くして1年生くらいの子供が、覗きに来たのです。「見つかった」と思った時、友人が「こら、怒られるぞ」と押し殺したような声で叱ったのです。するとその子は驚いたのか慌てて逃げて行きました。 私たちは顔を見合わせて笑いました。 さて、暫くしてから仲間を助けに行こうと二人で顔を出してみますと辺りに誰もいません。「どうしたのだろう?」と言いながら牢屋を見に行っても誰もいないのです。と、教室を見て驚きました。皆が勉強を始めているではありませんか。 「大変だ」と慌てて教室へ飛び込んだところ「何処へ行っていた。みんなが探していたぞ!」と言って、「何だ、頭に蜘蛛の巣をつけて」と---少し笑いながら先生。「----」と2人。 学校では縁の下に入ることはかたく禁じられていましたから、2人は答えることが出来なかったのです。理由に気付いた子供達が一斉に笑い出しました。 先生も恐らく理由は分かっていたのでしょう。それ以上問いただすこともなく、直ちに私たちに水を入れたバケツを持って廊下に立つように言われました。 私たちは笑われながら教室を出てベソをかいて立っていますと、暫くしてN子が何か発言しているのが聞こえてきました。 そして先生が、怒った表情を崩さないまま、私たちを教室に入れてくれたのです。
後で聞いた話では、先生が皆に注意をしている時、N子が「今日は始業の鐘がならなかったから2人が悪いわけではないと思います」と言ったそうなのです。 一事が万事そんな状況でした。だから母から「しっかりしなさい」と言われても、それだけで心が重くなるのでした。
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