ジョージ北峰の日記
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18 凄い兄弟に恵まれ、ある意味で幸せな生活を送っていたと思うのですが、(可愛がってはくれるのですが)家族から全く尊敬されない自分に、子供ながらに強いストレスを覚えていました。 何時かは兄弟を見返してやりたい気持ちで一杯でした。無論、長兄から難しい哲学的話を聞かされて、時に子供同士でそんな話をしますので、「T君は哲学者だな」と仲間同士では尊敬はされていました。
ある春の日曜日の朝、数人の幼い子供達を集めて寺小屋を開いていました。寺小屋といっても、家の庭に筵を引いてミカン箱を机に見立てて勉強をするのです。私が先生役です。勿論本気の勉強ではなく、あくまで遊びで「寺小屋ごっこ」をしていたのです。子供達は思い思いの本を持ってきて勉強するのですが、中には漫画や、御伽噺(おとぎばなし)の本を持ってきて読んで欲しいという子供もいました。年上の者が先生、年下のものが生徒なのです。
当時の子供は、明るい間は、ほとんど親から離れて子供同士で遊んでいました。中には家事の手伝いをする子もありましたが---。
私も親から喜ばれる為に、皆を引き連れて枯木を集めに山に入ったこともありました。当時は、薪(まき)や炭で火をおこして料理をしたり、お風呂を沸かしたりしていた時代でしたので、枯れた小枝は火熾(おこ)しに便利だったのです。山に入って子供達が枯れ木を集めてくるのを年長者が束にして、つる草を使って背負えるようにする。 子供達が枯れ枝を持って帰ると、親に随分褒められたのでした。
些細なことですが、子供も家族生活に何等かの役割を果たそうとしていたのです。 夕暮れ時や昼時は、昼食や夕食の調理の時間で、家の屋根から煙が立ち上るのがよく見えました。親にとって夕暮れ時、子供は邪魔な存在で、外に遊びに行くのを許していました。 子供の遊びも、今では考えられないほどに社会に貢献していたのです。ある意味で保育園の役割をしていたといっても過言ではありません。
話は横道にそれましたが「寺小屋ごっこ」していますとN子がやって来てK神社の古道具市に行こうと誘うのです。 N子の両親が連れてくれるというのです。私は嬉しかったのですが、子供達放り出すことも出来ないので迷っていると、N子は笑いながら「今すぐでなくても、皆が帰ってからでいいよ」と言って帰っていきました。 私の家の庭や周囲の土手には、大きな桜の木が沢山植えられていていました。風が吹くと、花びらが舞い上がり、空から子供達の頭上に花吹雪となって降り、そっと川面に舞い降り流されていくのです。 幼い子供が、木の枝を振り回して、花びらを追っかけていました。 青空を真っ白な雲が駆け抜けるたびに日の光が遮られます。そのたびに風が強くなり花吹雪が強く顔に当たるのです。 時折、花見の家族が「ガヤガヤ」時に私たちに声をかけながら裏道を通り過ぎて行きます。
私はふとN子の花嫁姿を思い浮かべていました。「きっと可愛いだろうな」と一瞬ぼんやりしていますと「もうそろそろ家に帰りなさい」と大学の先生の若奥様が小学1年生と、幼稚園の娘を呼びに来ました。「イヤ」と上の子が言いますが、母親は「T君も家の用事があるのよ」と私を見ながら合図を送るのです。
私もここぞとばかり「皆、朝の勉強会はこれで終わり。家が心配するから、一度帰ろう」と言いますと、皆「昼からも遊んでくれる」と言いながら不承不承立ち上がりました。私は、遠い所から来ていた子を家まで送って行きました。
K神社までは、かなりの距離で現代なら車で行く距離です。しかしN子と、N子の優しい両親とが一緒に歩いていくのですから、張り切らない訳がありません。私の両親と違ってN子の両親は何時もニコニコしていて優しい人でしたから--- 家を出る時、母が兄弟に知られないようにこっそり20円くれました。
御当所K神社の境内には、人々がごった返していました。古物市ですが、中には所謂「掘り出し物」が売られていることがあるらしいのです。綿菓子、美味しそうな駄菓子が売られていましたが、N子の両親は、会社の社長さんで陶磁器の「掘り出し物」を探しに来たらしいのです。無論私はそんなものに興味があるはずがありません。 私はN子と一緒に周りを見て歩いていましたが、ふと古本を売っているのに気付きました。その中で1冊分厚い、ぼろぼろの動物辞典を見つけました。中を見た時ショックを受けました。それは恐竜図鑑で、それまであまり見たことがない、恐ろしい形をした動物達が載っていたのです。
勿論恐竜については、少しは知っていたのですが、こんなにまとめて、精密に描かれた恐竜を見たことがなかったのです。 私がその本を欲しそうにしていますと、店のおじさんが「坊や、安いよ100円で売ってあげよう」と言うのです。 私は20円し持っていないと答えますと「あ、そう」と簡単に答えてN子のほうに見て「姉ちゃんは?」と尋ねるのです。N子は「気味が悪い」と答えたのです。 私が諦めかけていますと、そのおじさんは「坊や、勉強したいのなら20円でもいいよ」と言ってくれたのです。 私の気持ちは10円で本を買って、のこりの10円で駄菓子が買いたかったのです。少し迷っていますと「坊や、20円以上はまけられないよ」と苦笑いするのです。仕方なく20円を差し出しますと、おじさんはそっと10円を私の手に返してくれたのでした。
私は嬉しくて涙が出そうになりました。おじさんは私の顔をじっと見詰めて「坊やの顔を見ていると、お金のことは如何でもよくなった。立派な学者さんになるのだよ」と言ってくれたのです。 このおじさんの何気ない言葉が私の一生を決めるほど強い力を秘めていたとは当時は夢にも思っていませんでした。ただなんとなく、強面のおじさんの心の優しさが分かったような気がしたのです。 「ありがとう」感激のあまり声にならない声で答えていました。 私の小さい心の迷いの中で、私が将来の人生に「小さな灯りを見つけた」瞬間でした。 N子のお父さんも「T君も何時の間にか、ここでの買い物の仕方を覚えたのだね」と言ってくれたのでした。
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