ジョージ北峰の日記
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2010年06月23日(水) 青いダイヤ

 6.
  兄の部屋に同居することになりましたが、兄は私に何も教えようとはしませんでした。私が、外で遊んで何時に帰ってこようが、全く勉強しなくても注意することはありませんでした。ただ兄が何かに集中している時には、話しかけ難い雰囲気がありました。
  あれは、確か冬休みのことだったと思います。兄が久しぶりにリラックスしている風でしたので、宿題を教えてもらおうと思って話かけますと、教えてはくれたのですが、その後、兄は「お前の今後の為に話しておくが」と前置きをして、説得するように話し始めたのです。
  「勉強で、分からない問題に出会った時は、まず自分で、一生懸命考えて、考えて、間違っていても良いから、まず答えを出すことだ。それから人に聞くか参考書を見るかすることだ。そうすれば教えるほうも何処を教えればよいか分かるだろう?ただ難しいから教えてくれでは、教えようがない。人間の知恵の成長は、確かに人から教えられて得られる部分もあるだろう。しかし本当は、間違っても良いから、自分で答えを得ようとする努力が一番大切なのだ。結果は間違っていても良いのだ。試験で満点を取ることが出来ないかも知れない。しかしそれでも構わないのだ。それが自分で考えて努力した結果なら---。
  確かに小学生や中学生では、人に聞く方が“勉強が出来る”ようになる為には早道かも知れない。しかしそれでは、本当の意味での人間の成長はない。又、何時まで経っても自分に自信がもてないだろう。
何度間違いを繰り返しても良い。しかし、その度に「何故!」と自分で反省することだ。そして同じ過ちをしないように努力することだ。それが自分自身の能力を高める早道なのだ。
  つまり、それが“自分を知る”と言うことなのだ」と自称哲学者の兄が話すのでした。
  後に母にこの話をすると、“無責任な”と怒っていました。

  当時兄は、家庭教師をしていました。彼は高校生で1週間に2日ほど、兄の部屋に訪ねて来ました。しかしある冬休み、私と一緒に狭い兄の部屋で寝泊りすることになりました。兄は私には構わず、彼に付きっ切りでした。
私は全くの邪魔者扱いでした。兄の私に対する教育は少し、いや随分変わっていました。

  ある満月の夜だったと思います。2人はこれから修行に行くと言うのです。「お前もついてくるか?」と兄が言いました。私は「修行」の意味がよく分からないので、“面白そう”に聞こえ「行く」と答えますと、高校生が笑いながら「怖いぞ!」と脅すのでした。
  3人で裏道から池の畔を抜けて山道に入ったのです。電気の灯りは全くありません。ところが月明かりでも、昼間の様に周囲の景色がよく見えるのです。池の水面に月影がくっきりと映り、松の葉の一本、一本でさえ鮮明に判別できるのです。そう “荒城の月”の景色を想像していただければよいかと思います。
  遠くでフクロウの“ゴロスケホーホー”と鳴く声が聞こえてきました。
兄が見つけた人一人がやっと通れるほどの道を、どんどん進んでいきますと伐採した木を運び出す、トロッコの線路に出くわしました。この辺りに来ると辺りは真っ暗闇で月の光は全く差し込んできません。木々の合間から遠くの山がまるで水墨画の様に時折かすんで見えるのです。師弟の2人は歩きなれているのか私には構わず進んでいきます。
  線路の“渡し木”の下は深い溝になって水が流れてました。私は足を踏み外しそうで2人の足の速さについて行けません。その上線路はくねくね曲がっていますので、とうとう2人姿を見失ってしまいました。
すると、背丈の低い木が幽霊の様に見え今にも“怨めしや”と近づいて来るように思えるのです。私は死に物狂いで線路を登って行きますと、やっとのことで終点に辿り着きました。
  辺りは少し広くなっていて、伐採した沢山の木が積み上げられていました。2人を見失った私は、如何すればよいのか、しばらく呆然としていました。
  と、突然カラスが騒ぎ始めました。真暗闇で聞くカラスの声は地獄の声の様でもありました。私は怖くて震え上がりました。2人に付いてきたことに後悔し始めていました。(後で知ったことですが、フクロウとカラスは天敵で、フクロウはカラスの巣を夜に襲うらしいのですが、昼間カラスがフクロウを見つけると集団で襲うらしいのです)
  最早2人を探す気力もなくなって「帰ろう」と、私が一目散に線路に向かおうとした矢先、“わあっ!”と声がして、材木の陰から2人が飛び出して来ました。
  腰を抜かさんばかりに驚いたことは言うまでもありません。しかし2人は私が不安そうにうろうろしている姿を見ていたらしいのです。兄は「帰りたくなったか?」と笑いながら、キャラメルを3粒くれたのです(よく食べ物の話が出ると思われるでしょうが、当時キャラメルを見ることは、余程の時でない限りありませんでした。子供にとって貴重品だったのです)。
  私は嬉しいのか、悲しいのかよく分からないまま“泣きべそ”をかきながらキャラメルを1粒、そっと口に入れたのを覚えています。それはとろける様に甘く、本当に優しい母の味の様に思えるのでした(その味は今でも決して忘れることありません)。


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